…ということで、山梨県の甲府へ行ってまいりました。
山梨県立美術館で開催中の特別展「シダネルとマルタン展 最後の印象派」を見よう!
というのが主目的だったわけですが、気付いてみればこの展覧会、
来年に新宿のSOMPO美術館でも開催予定であるのだそうな。
さりながら、今の御時勢では東京都心方向よりも山梨への向かう心安らかさがあるような、
そんな気がしておりますよ。
で、県立美術館で見た展覧会のことは改めて書き残すといたしまして、
ここでは甲府での泊りのことです。甲府市街の中心にあって「源泉100%掛流しの天然温泉」であったとは。
山梨県もわりと温泉は豊富ですので、甲府の周辺にも湯村温泉のほか、
いわゆる「信玄の隠し湯」などと言われる小規模温泉地が点在してますけれど、
甲府駅から歩いても10分ほど、山梨県庁や甲府市役所にも近い市の中心部にも
天然温泉が湧いていたのですなあ。
もっとも「湧いていた」というのは適切な表現ではありませんですね。
今回利用したホテル談露館は「130年以上の歴史を誇る、甲府随一の老舗ホテル」ということですが、
近隣の旅館に呼びかけて温泉を掘り当てようと着手したのが1964年、晴れて翌年に掘り当てた温泉が
現在までも続いている…ということですので、勝手に湧き出していたというわけではないですな。
同館HPの歴史には「旅館経営のために温泉の必要性を痛感した」とは紹介されておりますが、
このような「痛感」の背景には、石和温泉の存在(温泉湧出)があったのではと推測するところです。
もちろん甲府市街に近く、湯村温泉は弘法大師開湯と言われる1200年余の歴史を誇っておりますが、
かつてはもそっと奥まり感、奥座敷感があったものと思う一方、石和の方は中央本線で二駅東京寄り。
この何もない(?)平地で1956年に温泉が掘り当てられ、その後温泉宿が賑わいを見せるようになったとなれば、
甲府の単なる(?)ホテル、旅館は危機感を抱くことになったのではなかろうかと。
でもって、1964年に甲府で温泉を掘ってみることを考えたのではありませんでしょうか。
(このときに同調した旅館でしょうか、今も周囲には温泉のあるシティホテルは他にもあるようです)
ところで老舗の宿たる歴史の中には、もひとつ「ほお!」と思うことが見いだせましたな。
同館HPでは、こんなふうに紹介されておりますよ。
昭和11年(1936年)談露館に投宿したポール・ラッシュ博士一行は、「日本聖徒アンデレ同胞会」の指導者訓練キャンプ場建設地を探していました。 それを知った三鶴平(引用注・談露館の経営者)は、趣味の狩猟でよく訪れていた八ケ岳山麓の「清里」を紹介し、自ら案内して清里キャンプ場「清泉寮」建設のきっかけを作りました。 このことが、現在の清里の開発の始まりになったといわれています。
清里は大学時代にゼミ合宿で出向いて以降、何度か訪ねておりますが、
かつて『清里開拓物語』という一冊を手に取って、清里のそもそもを探求した際、
昭和の初め、小河内ダム建設によって奥多摩湖の湖底に沈む村の人々が移住した(移住させられた)土地が
清里であって、とても農業を営めるような場所ではなかったと知ったわけなのですなあ。
その後、開拓者魂に溢れた?米国人宣教師のポール・ラッシュが開拓に入り、
あれこれと手を尽くしたことから、今の清里につながることに。なにしろ清泉寮の存在は大きいですものね。
とまあ、そうしたあたりにいささかの予備知識はあったものの、
いったいどうしてポール・ラッシュが清里に目を付けたのかは気にかけておらず…。
もしかすると、清泉寮併設のポール・ラッシュ記念館でつぶさに展示を見ておれば、
すでに知りえていたところかもなのですけれどね。
とまれ、ポール・ラッシュが清里に注目したのは甲府の宿の主人が紹介したことであったとは
長い歴史を生き抜いてきた宿には、いろんなエピソードがありますなあ。
ま、老舗であるが故にいささか建物などはいささかくたびれてきているようなので、
コロナ禍では難しいであろうことながら、何とか頑張ってほしいものですが、
いかにも市中の地下深くから出たと思しき黒味がかった温泉はなかなかのもの。
寒い寒い季節、久しぶりに温泉で温まってきたのでありましたよ。