と、「ほうとう 」を食したことから山梨の話を始めたわけですが、
これまで何度も石和温泉に来たことがありながらとんだ勘違いをしていたのでありますよ。
駅の南口からまっすぐ笛吹川に向かって伸びる通りがありますけれど、
これを進んで駅から離れたあたりがいわゆる「石和温泉」だと思っていたのでして。
確かにこのあたりにもホテル・旅館はいくつかあるので、そう思い込んでいたところながら、
実は駅を出て線路沿いを東へ、つまり東京方面に戻った方にこそ温泉の中心地があるのだとか。
こう知ったからには、折しもこの日はかなりぽかぽか陽気でもありましたので、
散歩がてら(実はレンタサイクルが借り出されていまして…)に
川沿い(というより用水路ですかね)の道を歩いて行こうかと。
足湯もあるということですし。
しばらく進むと「源泉足湯ひろば こちら」の案内が。
そこから程なくして「足湯ひろば」に到着いたしました…が、
ここが石和温泉の中心地?それにしてはうらさびしい…。
ともあれ、他には誰もいない足湯ひろばで湯につかり、しばしまったりしておりましたが、
何やら奥の方に石碑を発見。見に行ってみたのですね。
見れば「高熱温泉発祥之地」とあり、
そのまま受け止めてしまうと温度の高い温泉は石和が発祥とはそりゃ由緒正しい…
てなふうにも思ってしまうところながら、思いのほか新興温泉であるのが石和の湯であると
お隣の説明書きをみるとよく分かります。
明治の頃から湧いてはいたようですけれど、昭和36年にこの辺りで井戸を掘っていたら
あらま!と温泉が湧いて出た。これが60度以上もある高温だったことがこの碑の謂われのようで。
ただ毎分1200リットルの湯が葡萄畑の間を流れる小川に注ぎ込んだものですから、
誰もが温泉につかれる「青空温泉」状態を呈したのだそうでありますよ。
その頃の写真でしょうか、近所の人たちが素っ裸で集まっているようすが
足湯ひろばに展示されておりました。
「海水浴場さながらの賑わい」であったとは、1961年当時には
海のない山梨県の人たちが行楽で海へ行くのもままならない時代であったろうと思うにつけ、
なるほどなあと思うのでありました。どこを隠すでなく佇む人もいて、おおらかだなあとも(笑)。
そんな手軽なにぎわいの地には高度経済成長とともに温泉旅館が立ち並び
東京からの行楽客をまとめて引き受ける場所ともなっていったのでしょうか。
当時は企業の福利厚生の目玉的存在として社員旅行(家族帯同OK)もあったでしょうし、
その後もしばらくは職場旅行の行先として重宝したのではと想像します。
なにせ新宿を6時に出れば7時半には宴席に座っていられたでしょうから。
されど、世の移り変わりはもはや社員家族旅行はおろか、
職場ごとの旅行も成立しないご時勢になっておりますから、
それとともに石和温泉の影が薄れてしまったのかもしれませんですね。
なんとなれば、石和温泉そのものが「弘法大師の開湯による…」なんつう歴史もありませんし、
観光資源にも乏しい状況。毎年「ぶどうEXPO」なるイベントをやっていますけれど、
ぶどう、ワインではどうしても勝沼 には及ばぬところでしょうし。
ではありますが、石和をぶらりとしかけたついでに
この地の数少ない観光資源の一端に触れてみようと思ったわけでして。
次はそういう場所のお話でございます。