富士見高原と聞いて思い浮かぶものは結核の療養所でありましょうか。

古くは堀辰雄の『風立ちぬ』などに、新しくはジブリ作品の同名作(内容が異なるとは言わずもがな)に

登場することで、かなり知られているところではなかろうかと思うところです。

 

実際、富士見町には旧富士見高原療養所資料館という施設があるのですけれど、

あいにくと「当面、休館」状態であるようす。やむなく?代わりに訪ねてみたのがこちら、

富士見町高原のミュージアムなのでありました。

 

 

公民館や図書館とも同居する富士見町コミュニティ・プラザという施設の中にありまして、

これまたあいにくとミュージアム内は撮影不可ということで、入口の写真のみ。

この限りでは想像もつきにくいところですけれど、展示内容からすると「文学館」というのが適当であるかと。

 

そうなりますと、やはり堀辰雄の関係か…と思うところながら、扱っているのは堀一人に留まらず、

実にたくさんの文学者が富士見高原との関わりの中で紹介されておりましたですよ。

まずもってアララギ派の歌人たちが多く高原に集って、歌を詠んだということなのですなあ。

 

町内、原の茶屋にある富士見公園はそも伊藤左千夫が設計したそうなのですけれど、

左千夫のほか、島木赤彦や斎藤茂吉らの歌碑が置かれてあるということです。

 

その他に、田山花袋や井伏鱒二もたびたび富士見高原に訪れたのであると。

田山には『温泉めぐり』という全国の温泉紹介本があるほどに旅好きだったのでしょう。

 

そういえば井伏の方も富士見からさほど遠からぬ増富温泉などにも出かけていたことを

以前ふれたことがありましたですねえ。山間の鄙びた宿もいいけれど、

広々とした眺望の得られる富士見高原にはまた別の魅力を見出していたのでありましょう。

ちなみにミュージアムの入口前に置かれたジオラマによりますと、富士見町のようすはこんな具合です。

 

 

北東には八ヶ岳、南西には南アルプスに連なる山塊に挟まれているわけですが、

八ヶ岳の裾野はなだらかな広がりを見せておりますね。この広々した開放感が人を惹きつけたのかもです。

 

ところで、療養所の関わりで言えば、堀辰雄自身や横溝正史も入院していたことがある一方で、

この療養所の初代院長である正木不如丘(筆名ですな)は作家でもあったそうでして、

病をかかえていた画家・竹久夢二を富士見での療養を促したのも正木であったということです。

竹久は特別室を与えられて療養に努めるも7カ月余り後、ここ富士見の療養所で亡くなった…とは知りませなんだ。

 

この他にも、文学関係を中心に富士見高原との関わりある著名人の紹介がざくざくと。

さほど大きなスペースではないものの、この方面に関心がある方でしたら、

訪ねてみる甲斐は広がりがありそうだと思ったものなのでありました。