山のあなたの空遠くラジウム湧くとひとの言う…てなことがあるはずもありませんが、

JR中央本線の韮崎駅から路線バスに揺られること、およそ1時間、

山峡にある増富温泉に行ってきたものでありますよ。右側にちらりと見えているのが宿でして。

 

 

バスの通り道は「増富ラジウムライン」などという名前がついているくらい、増富といえばラジウム泉なのですな。

日本百名山に数えられる金峰山、瑞牆山への入口としてかつては登山客で賑わったこともあったようですけれど、

今ではもそっと先までバスで入れますので、いささか置き去りにされた山間の湯治場をそのままに残してもいるような。

かつてここを訪れた作家の井伏鱒二は「増富の谿谷」(昭和16年発表)なる一文で、このように記しておりますよ。

この谿谷を増冨の谿谷といふ。九月だといふのに尚まだ山楓が若芽を出し、それが若芽のまま紅葉しかけてゐた。突如として聳える岩山が、紅葉しかけた蔦の葉ですっかり覆はれてゐるのも見た。渓流は眞下に見え、谷向こうの山にはところどころに炭焼の竈があった。その竈から取出した炭火が木の間がくれに赤く妖しげに見え、炭火のほてりは谷を距てて渡したちの頬に感じられた。谷がそんなに間近かく迫ってゐた。

さすがに井伏が訪ねた頃とは変わっているとしても、山間の小集落であることは間違いない。

あたりから聞こえるのは山々から下る水を集めた谷の瀬音ばかり(もはやせせらぎのレベルではありませんな)。

9月でさえ紅葉しかけていたという周りの山々は、11月ともなれば標高1050メートルという高所なだけに

文字通り「秋の夕日に照る山紅葉」なのでありました(と言いつつ、上は夕日、こちらは朝日ですが…)。

 

 

とまれ、そのようなところにある増富温泉、かつては増富鉱泉と呼ばれていたと思うのですが、

先にも申しましたようにラジウム泉というものでして、しかもそれが大層強力なものとあって昔から知られていたようで。

井伏の文章にもこのような部分があるのですな。

村松氏は今から二十何年前に、増富の奥へラヂューム鑛泉の視察に行つたといふ。その鑛泉はラヂュームの含有量が世界で第二番目だといふ評判であつた。それで、その方面の専門の研究家に連れられて二人旅で行つたのださうである。

ちなみに村松氏というのは作家・村松友視の祖父でやはり作家の村松梢風のことですが、それはともかく、

大正3年(1914年)の調査で「ここのラジウム泉質は世界有数(12.899マッヘ)との折紙がつけられた」と

宿の案内にも書かれてあって、「マッヘ」なる単位のこの数字がどれほどに凄いのかは皆目見当がつかぬところながら、

世界有数となればただものではありませんな。

 

ただし、現在入浴に供されているものはさほどのものではないようですが、

ラジウム泉とは、温泉の区分けで言うと「放射能泉」ということになるで、要するにいささかの被曝が病を治すのだと。

 

かつて福島原発の事故の際、東京でも放射線量の測定などが日々行われたことがありましたけれど、

その頃まことしやかに「低線量被曝は元気になる」てなことが言われたことと関わりがありそうな。

次回は、放射能泉の実体、そのあたりを押さえておこうかと思っておるのでありますよ。