ムサビの美術館を訪ねて、幻想絵画とはまた別の展示のことを。

「ART-BOOK: 絵画性と複製性-MAU M&L貴重書コレクション × Lubokの試み」というタイトルでして、

まずは「Lubokの試み」のパートから見ていくことになるのでありますが、このフライヤーの種類の多さ、

実際にはもそっとあるのですけれど、このあたりからしても力の入った企画とは言えましょうかね。

 

 

 

 

ところで、そも「Lubok」とは?ですけれど、ルボーク・フェアラーク(ルボーク出版社と理解すればいいですかね)は

ドイツ・ライプツィヒにある「気鋭の出版社」ということであるそうな。予てライプツィヒを訪ね、この町が印刷・出版で

賑わいを見せた一端を垣間見てきたりもしましたが、長い歴史と伝統の上にはまた「新進」も「気鋭」も生まれる、

そういうことになりましょうかね。

 

画家と印刷技師とで立ち上げた会社に名付けた「ルボーク」というのは、

「18~19世紀にロシアで流布した民衆版画」のことだそうで、

「広く大衆に向けた印刷メディアであるという民主性」に鑑みて、

「誰もが気軽に手にとることのできるグラフィックアートの一形態」=「アートブック」を提示してきているそうな。

 

 

広い会場内には同社の手掛けたアートブックの数々が並べられ、

(ご時勢からしてビニール手袋を着用した上で)手に取って眺められるようになっておりました。

 

 

ただ、もともとは民衆版画を意識したとはいえ、そこに込められた芸術性、芸術意識の高さは

「広く大衆に向けた印刷メディア」を使いながらも、いささかの敷居の高さにもつながる気がします。

要するにアート的なるものに対するリテラシーに必要性が感じられるところですけれど、

まずはぱらぱらとめくってもらって興味を持ってもらうところから、という啓蒙的な発想含みなのかもしれません。

 

 

さりながら、しばらく前にドキュメンタリー映画「世界一美しい本を作る男」で見た

シュタイデル社の本ほどではないとしても、これらルボーク社の印刷物も結構なお値段でありましょうから、

その点では必ずしも大衆に馴染むものでないのではとも思うところです。

 

そもそもグーテンベルクによる活版印刷術の発明は、

知識の大衆化につながる点で印刷物を安価に手軽に大量に作り出せるメリットを生んだわけですから、

高価で少量のもの(もちろんそれなりの付加価値はあるにせよ)への指向性が出てくるのは想定外だったかも。

そうはいっても、技術的にはより美麗な、それ故に高価であり大量な需要があるわけでもない印刷物も

作り出すことは可能なわけで、そこに新たな地平を見出すことがあってもおかしくないわけです。

 

アートという稀少性とブック、単に本といったときの大衆性、

これは本展タイトルにある「絵画性」と「複製性」にも通ずることでしょうけれど、

両者には結構なせめぎ合いがありましょうなあ。

 

ともすると、前者に携わる人を芸術家と呼び、後者に携わる人を職人と呼ぶような、

すぱっと二者択一にしてしまいそうなところでもありますが、ことはそうは簡単ではありませんですね。

 

それこそ武田砂鉄が『わかりやすさの罪』の中で触れていたように、

選択肢を提示されて「あなたはどれを選ぶ?」と迫られると、「どれでもねえんだけどなあ…」と言いたくなる、

その気持ちというか、心持ちが何ごとにつけ必要なのであるなあと、このような展示を見ながらも

考えたりしたものなのでありました。