このところ、空を仰いで雲を眺めやることが(個人的に)ちと増えておりまして。

しばらく前に雲の写真展を見たりしたこともきっかけとは思いますが、取り分け今の時季、

夏っぽい雲と秋らしい雲とのせめぎ合いといいますか、眺めやるたびに「おお!」と思ったりするという。

 

ま、雲の動きは刻一刻と変化して、この形といってとどまっていてはくれませんから、

眺めるたびに違うというのは言わずもがなのことなのですけれど。

 

とまあ、やおらかようなことを言い出しましたのは、

先日(プチ帰宅難民化したとき)の読響演奏会でシベリウスの交響曲第2番を聴いて、

「ああ、この曲は空の、雲の、そして太陽のシンフォニーだったのであるな」と思い、

それを反芻していたものですから。

 

 

当初は山田和樹が振るところだったのがどうも欧州から帰ってこられなくなり、代わりに登場するのが

かつて小澤征爾が優勝したことで知られるブザンソン国際指揮者コンクールで

一昨年(2019年)こうしたことは優勝したという若い指揮者、沖澤のどかが登場するとか、

年齢的に今回が最後の来日公演と言われる中で、ペーター・レーゼルがソリストを務めるとか、

触れることはいろいろある演奏会だったわけでして、ちなみに曲目はこのような。

 

・シベリウス/交響詩「「フィンランディア」

・ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番

・シベリウス/交響曲第2番

 

ではありますが、ここでは冒頭の枕部分からしても、

シベリウスの交響曲第2番に思い巡らすことになるわけでありまして。

 

フィンランドの首都ヘルシンキからバスでおよそ1時間、

ヤルヴェンパーという町のちょいと手前にある「アイノラ」を訪ねたのはもう9年も前になってしまいました。

「アイノラ」というのは「アイノの居場所」といった意味でありまして、

シベリウスが妻のアイノとともにその晩年を送った家のことなのですな。

 

ちなみにフィンランド語でヤルヴィ(järvi)は湖の意でありますから、

ヤルヴェンパーとは湖に関わりある地名ということになりましょう。

N響の指揮者の名前もヤルヴィですが、エストニア語はフィンランドの言葉と親戚ですので、

やはり湖さんという名前なのかもですね。

 

それはともかく、ヤルヴェンパーの近くであってもなくても元よりフィンランドは森と湖の国ですので、

「アイノラ」は木立を抱え、そして湖に面してはいないものの、バス停を挟んだ反対側には

きりっとした清涼感を湛えた湖が広がっておりましたよ。

 

湖に面した敷地はおそらく病院か高齢者のための施設のようでしたけれど、

ちょいと入り込ませてもらったところ(実は断りなしなので不法侵入であったか…)、

湖に面したところにサウナハウスがありまして、すぐわきに桟橋が。

ここから湖に飛び込んで、サウナでほてほてになった体をクールダウンさせるのでしょうなあ。

なんともフィンランドらしいと思ったものです。

 

と、話はすっかり旅の思い出に向かってしまいましたですが、

ともかくもそのフィンランドの空気を思い出していたのですなあ。

 

ですので、当日のプログラム解説でもって「1901年、シベリウスは家族と共にイタリアに旅行し…

この際に地中海沿いの景勝地ラッパロ等で着想した音楽を取り入れながら」作曲した曲と知ったときには

「そうなの?」と思ったわけでして。南欧かぁと。

 

ではありますが、解説のその先に「全体を支配するのは

やはり北欧の自然を想起させる空気感である」とも。そうでしょう、そうでしょう。

 

考えてみれば、ノルウェーの作曲家グリーグの「朝」にも北欧の清涼感を抱くわけですが、

その実、「ペール・ギュント」の芝居の中ではこの場面、アフリカの砂漠であったとは、

以前Eテレ「らららクラシック」で紹介しておりましたけれど、それでもやっぱり北欧感が出てしまう(?)。

シベリウスもまた、というところでありましょうかね。

 

ともあれ、フィンランドの空を想い、真っ青なときもあり、やがて雲が湧いて、

それがゆったりとたゆたうときもあれば、疾風迅雷を招くようなときも。

音楽はそのいっときとして同じ姿にない空を、雲を思い起こさせるものであるように思えたわけです。

 

厚く雲が垂れ込めたかと思うや、その切れ間から太陽が差し込み、

あたりを払って光がすべてを覆っていく、終楽章はそんな太陽の凱歌とも聞こえてきたものでありますよ。

北欧の人々にとっての太陽、ことさらにありがたみを感じているであろうからこそ、

これほどの壮大さを持って描き出したのでもあらんかと思えたものでありますよ。

 

ということで、いささかも演奏会レビューらしきことは書いていませんが、

若い沖澤がことほどかほどにゆったりとした悠揚さで、さらにはスケールの大きな音楽を作り上げたことが

こうした思い巡らしにつながったとは言えましょうなあ。