住いから最も近い美術館で、また企画展示が変わったので立ち寄ってみたのですな。

題して「たましんの浮世絵」@たましん歴史・美術館でありました。

 

 

常設的なコレクション展である焼きものなどの展示スペースより小さくて、

こぢんまりとまとめた感のある浮世絵展示でしたけれど、

「玉川(多摩川)」や「武蔵国調布」「小金井」といった多摩地域を主題にした」作品を集めたテーマ展示で、

ご当地的なお楽しみになっておりました。でも、気付かされることもありまして。

 

ひとつには「六玉川(むたまがわ)」という言葉でしょうか。

古典に疎い者には初めて目にする言葉でありましたけれど、「歌枕として古くから和歌に詠み込まれる」ほど

知られておるようで、「全国の六つの玉川を指」しているのだそうな。ちなみに、六玉川とは

武蔵国調布、山城国井手、紀伊国高野、摂津国三島、陸奥国野田、近江国野路の玉川であると。

 

そして、六玉川はそれぞれに決まり事として特定のモチーフとセットになっているようで、

調布の玉川(多摩川)の場合には「川にさらす布」であると。

すでに「万葉集」には詠み人知らずの歌として、このように歌われているそうです。

たまがわにさらすたづくりさらさらになにぞこのこのここだかなしき

東京・調布市には「たづくり」というネーミングの複合施設があるのですけれど、

「たづくり」と聞いて思い浮かぶのはおせち料理ばかり…。「なんだかなあ」と思っておりましたですが、

その由緒は実はこのような。

その昔、手織りの布を調(税)として収めていたことが調布の地名由来とされ、調布と書いて「たづくり」と読んでいたことから命名。

調布という地名は、律令時代の税制である租庸調に基づいて特産物の布を

現物納付していたことに由来するとは思っていたものの、「調布」と書いて「たづくり」と読んでいたのですなあ。

そも「玉川」とは「美しく清らかな川」の美称ということですので、布を晒すに打ってつけの場所だったのでしょう。

 

 

で、ようやっと浮世絵の話になってまいりますが、

こちらは今回展にあった歌川広重の「諸国六玉川」から「武蔵調布之玉川」(部分)でして、

なるほど中景には布をさらす人たちの姿が見え、前景は砧で布をたたいているようすがありますね。

 

和歌でのお決まりは当然のように浮世絵にも描き込まれる。

和歌につながる決まり事は江戸庶民にも広く知られていたということでありましょう。

こういったことが今や忘れられていることが多いですなあ(と、知らなかったのは自分だけかもですが)。

 

されど、歌枕にからむ布晒しとは別の「多摩川と言えば!」があったようでして、

先に訪ねたアキシマエンシスの郷土資料展示室でにもこんな漁具が展示されておりまして、

それほどに多摩川の鮎漁は夙に知られたものだったのですな。

 

徳川吉宗の時代には、御留川(おとめがわ)といって多摩川流域で幕府御用の鮎漁以外の漁業が禁止されたこともありました。

と、本展の展示解説にあるくらいにおいしい鮎は多摩川の名産品であったということです。

やはり広重の「名所雪月花」から「多摩川秋の月あゆ漁の図」(部分)には

釣り糸を垂らす人、投網を打つ人、さまざなに鮎漁に勤しむ人々が描かれておりますね。

皆が幕府御用とも思われんのですが、それはともかくとして…。

 

 

ということで、展示されていた多摩川を描いた浮世絵には、布を扱う人か鮎をとる人のいずれか、

あるいはその両方が描き込まれているものがほとんど。見たところ、いずれも描かれない例外的な存在は

葛飾北斎の「富嶽三十六景」より「武州玉川」でしょうか。多摩川がまるで大海であるかのように描かれています。

これの背景に遠く、しかし大きく富士が鎮座ましましているわけです。北斎の「作った」風景ですなあ。

 

ということで、浮世絵に描かれた多摩川に触れて来ましたけれど、

展示では多摩川から水を引いた玉川上水、そしてこれに沿って千本もの桜が咲き競ったという小金井堤、

これらを描いた作品が並んでいたのですけれど、多摩のあたりは江戸市中の庶民にとって行楽の場だったことを

偲ぶに十分な、そして浮世絵がガイドブックとして楽しみに誘うものであったことも知るに十分な、

そんな展覧会でもありましたですよ。