東京・池袋の東京芸術劇場で読売日本交響楽団の演奏会を聴いてきたのですね。

4月24日(土)の演奏会に出かけて以来となるわけですが、奇しくもこの日は

東京都に緊急事態宣言の出される前日でありました。それ以来、久しぶりの演奏会は

これまた奇しくも先の宣言が翌日で解除されようという日にあたっており…。

 

この間、何が変わったのかと考えても何も変わっていないような。

全く先が見通せないという点で変わりはなく、むしろ悪い見通しの方が立ちそうなくらいかも。

 

とまれ、そんな状況下ではありますが、ひととき音楽のシャワーを浴びて来た次第です。

なにしろプログラムのメインは爆演系の代表格、チャイコフスキーの交響曲第5番ですので。

 

 

折しもシューマンのコンチェルトのソリストに近頃注目の反田恭平が登場とあってか、

3月、4月と見ていた状況に比べて「いっぱい入ってるでないの」という芸術劇場でしたですが、

始まりのワーグナー「タンホイザー」序曲、そしてシューマンのピアノ協奏曲、

さらにはメイン・プロのチャイ5と進んでいく間、なんかこうピンとこないと申しましょうか。

 

例えば、シューマン。プログラム・ノートにはこんなふうにあるのですよね。

本作は、…「ヴィルトゥオーゾのための協奏曲は書けない」と語ったシューマンの生き方が相まって、内省的な「協奏的幻想曲」風のテイストを有している。

だからといって簡単に弾けるというものでもないのでしょうけれど、

時にヴィルトゥオージティを溢れた結果かもしれないピアノはちとシューマンの思いに、

曲の持ち味に適っているかなと思ったりしてもでして。

あくまで個人的な意見ではありますが(その時の体調とか気分とかにも左右されるもので…)。

 

とまあ、そんなふうに没入できなかったからでもありましょうね、聴いていてふわふわと湧いてくる思いは

「ああ、今年も夏旅には行けないのだろうなあ」というだったりしたのですなあ。

 

例年、一点豪華を標榜して夏旅に出かけておったわけでして、

いささかもコロナの気配を感じていなかった一昨年の夏、ライプツィヒなどを巡ってきたことが

ついつい思い出される。ライプツィヒはワーグナーの生誕地であるわけで。

 

さらにライプツィヒには、シューマンとクララが住まった家、クララの生まれた家、

二人してお邪魔したであろうメンデルスゾーンの家などなど、音楽家ゆかりの地がたくさんあって、

散策がてらそれらを経巡るのはたいそう楽しい体験だったのですね。

 

そんな記憶の蘇りがあって、チャイコフスキーの方はライプツィヒではありませんけれどその数年前、

第5交響曲の構成に苦言を呈したブラームスの博物館を訪ねてハンブルクに出かけた折、

同地のコンサートホール・ライスハレで聴いたマーラー・ユーゲント管のチャイ5の演奏が

(ユース・オケならではでもありましょうか)大変な爆演だったことが思い出されてならなったという。

 

コロナ禍があって先の3月に、久しぶりにオケの生音を聴いたときには

音に渇いていたのでもあるかのように体に音楽がじわ~っと染み入るようでと書きましたですが、

そうした感覚にはすぐ慣れてしまうのかもしれません。一方で、音楽そのもののことではないものの、

今回のように(演奏会を聴く姿としてのよしあしはともかく)いろんな記憶が蘇ったりすることもありますね。

 

取り分け思い出したのが旅の記憶となりますと、今度はそちらの方の渇きに苛まれるように気が。

いささか大袈裟な物言いではありますが、この意味ではちと今回は身の毒の元になってしまいましたなあ…。