ちょいと前に『物語アラビアの歴史』を読み終えた折、

次に読む本は講談社現代新書の一冊「『珈琲の世界史』ということに心づもりしておるような次第…と

珍しくも宣言してしまったわけですが、いやあ、先の本とは違った意味で読了に時間がかかってしまい…。

新書一冊にひとつきも付き合っていたとは(笑)。

 

 

著者の専門は遺伝子学、微生物学であって、本人曰く典型的な「理系人間」であるそうな。

それが歴史の本を書くことになるのも、要はコーヒー好きが昂じてということなのでしょうなあ。

「好きこそものの上手なれ」でありましょうか。

 

なるほど単なる好事家という以上に、コーヒーにまつわるいろんなことを知っているものだと思うわけでして、

通史とはいうものの、ところどころの蘊蓄的なるところにひっかかったりする方が多かったかなとも。

 

例えば、人間がコーヒーなるものと遭遇する伝承のひとつとして紹介されているのが、ひとりの山羊飼いのお話。

この山羊飼いの名前が「カルディ」であるとは。コーヒー豆(というより輸入食品)の販売店として夙に知られる

カルディコーヒーファームの「カルディ」はここからとっていたのですな。改めてHPを見ると、なるほど

「昔々のアフリカ、今のエチオピアの奥地に住んでいた1人の山羊飼いの物語です。」と名前の由来を

説明しているところがありましたですよ。

 

ということで、コーヒーの木の原産は東アフリカ、エチオピアあたりとされているわけですが、

紅海とアデン海を分けるバブ・エル・マンデブ海峡を挟んでアラビア半島、イエメンは目の前ですので、

アラビア側にコーヒーが伝えられ、やがてイエメンのモカの港がコーヒー交易で大いに賑わうことになるのは

自然なことのように思えてきますですね。

 

ちなみに「コーヒールンバ」にも「コーヒーモカマタリ」と出てきますように

「モカ」はコーヒー豆の種類であるかのように受け止められますが、実はイエメンの港町の名前でして、

ここから積み出されるコーヒー豆の評判が高く、「モカ産はすばらしい」、「モカはいい」と

モカ、モカ言われているうちに種類の名前になってしまった。

 

モカの港自体は潮流による土砂の堆積が災いし、港の機能はアデン港に移ってしまうも、

やはりコーヒーはモカ、モカ言われ続けているそうな。

実際には鍋島焼などだったりするものが伊万里の港から輸出されることで

ざっくり「伊万里焼」の呼ばれ方が広まったのと、なんとなく似ている話ではあるなあと思ったりしたものです。

 

ともあれ、オスマン帝国がウィーンにコーヒーをもたらした…てな話がよく聞かれますように、

ヨーロッパに広く伝わったコーヒーは文化の香りを伴って根付いていくわけですけれど、

もっぱら中東から輸入される産物であるだけに政治情勢によって手に入りにくくもなる。

 

そこで、フランスやオランダなどは海外植民地にコーヒー・プランテーションを設けることになるわけでして、

オランダが現在のインドネシアで過酷なコーヒー栽培を強いたことは、先に読んだムルタトゥーリの

マックス・ハーフェラールもしくはオランダ商事会社のコーヒー競売』で思い知らされたましたですが、

フランスなどもカリブ植民地あたりで手酷いことをやっていたのでしょうなあ。

 

植民地獲得競争に出遅れていたドイツでは「代用コーヒー」なるものが定着していったとか。

フランスは味と香りにこだわって栽培に向かい、ドイツは(栽培させる植民地がないかでしょうけれど)

代用品でまあ良しと実を取る(?)。このあたりはお国柄が垣間見えるような気もしたものです。

 

そんな、コーヒーを巡る各国事情にも興味深いことがありますね。

英国も相当にコーヒーに魅了されたようですけれど、コーヒーが品薄になる一方で、

むしろ後発の茶の輸入はだぶつき気味になり、東インド会社は紅茶の売り込みにやっきになったとか。

そのおかげで、今やすっかり英国は紅茶の国になっているというのですなあ。

 

一方、アメリカも英国と関わり深い背景を持っていますので、独立戦争前に紅茶指向となっていましたが、

かの有名なボストン茶会事件以降、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでもありましょうか、

紅茶は英国を思い出させるものとして敬遠されたか、その後はすっかりコーヒーの国になっていったようで。

 

ちなみに日本でのコーヒー受容は、まあ、明治以降ですなあ。

もちろん江戸期にもオランダ人などとの接触からコーヒーを口にした人はいたようですが、

文化人として知られる蜀山人、大田南畝は「焦げくさくして味ふるに堪ず」と評したとか。

 

かようにコーヒー受容に関して、日本は後発国であるわけでして、

国際コーヒー協定なる枠組みの中では「新市場国」という扱いであるそうな。

歴史的にはもっともなことでありましょうけれど、後発組に優等な豆が割り当てられることはなかったようす。

反ってそのことが、缶コーヒーなるコーヒー類似飲料を広く流通させることになったのかもしれませんですね。

 

今では、先日入った八王子のコーヒー専門店ばかりではありませんけれど、

さまざまな種類のコーヒーを味わい比べることもできるようになっていますから、

いくらかようすも変わっておりましょうけれど、一方でコーヒーといえばス〇バみたいな風潮でもあり、

わざわざ選択の幅を狭めてしまっているような。

 

さて、日本人にとっては古くて新しいコーヒーとの付き合い方、

果たしてこの後はどんな展開が待っておりますかねえ。

個人的には例によって小さなコーヒー専門店に肩入れしたくなっているところではありますが。