正月に放送されたNHKの「完全解剖!大ピラミッド七つの謎」という番組を見ていて、

ピラミッドがどのように造られたかという謎を解き明かすことそのものよりも、

建築資材を求めて古代エジプト人は紅海を渡ってアラビア半島にも行っていた、

そしてアラビア半島ではベドウィンとの交戦があった…てな話の方に「お!?」と思わされてしまい…。

 

と言いますのも、単なる思い込みでしかないわけながら、

ピラミッドの建設の時代と言いますと、例えば有名なクフ王、紀元前26世紀という途方もない昔、

世界史で習った四大河文明のひとつとしてエジプトに文明が起こり、やがて王国が築かれたわけですが、

それくらい古い時代のことで、世界史の授業の中でクローズアップされるのは

それこそエジプトとメソポタミアくらいしかありませんから、ついついヒトはそのあたりにしか

住んでいないかのように考えてしまっていたのですなあ。

 

しかし、人類の発祥はアフリカであって、そこから各地に拡散していったのが何十万年の前の話、

人類が文明を持つのは何千年単位のことですから、それまでの間に相当な広がりがあったことでしょう。

ましてアラビア半島はアフリカの目と鼻の先なのですし。

 

そんなことにも考えが及んでおらなかったこともあって、

中公新書の一冊『物語 アラビアの歴史 知られざる3000年の興亡』を読んでいたのですが、

たまたまにもせよ、そんな最中に「コーヒールンバ」に出くわしたわけでして、

「コーヒールンバ」が先にあって「アラビアの歴史」というのはないのですけれどね。

 

 

それにしても、読み進めるのに難儀した一冊でしたなあ。なにしろ知らないがわんさか出て来ますし、

人名は似たような名前(イブンとかアブドゥルとか)がこれまた山のように出てくるものですから。

ムハンマド(かつてもっぱらモハメットと言われていた)が登場してきたときにはホッとしたものですが、

そのイスラムが始まる7世紀以前が本書の半分以上を占めているのですよねえ。

 

まあ、それだけ古くから人の活動があったのは、先にも思い至っておりましたように

メソポタミア、エジプトに隣接し、さらにはインドにも遠からずという場所なれば当然でもありましょう。

 

ですけれど、アラビア半島がそうした先行する文明圏のただ中にあったかといえばそうでもないようで、

今でも使われるベドウィン、もっぱら遊牧に頼る生活が主であって、あとは文明圏を行き来する交易の通り道、

それがアラビア半島でもあったということで。

 

何しろ中央に広大な砂漠が広がるだけに生活には容易ではないでしょうから、

そして交易の仲介として存在感を示すにはラクダで荷を運ぶための、

あるいは人が乗るための鞍が考案されるまでにはずいぶんと時間を要したようす。

 

中央アジアに生息するフタコブラクダであれば、コブとコブとの間に鞍を置くことを想定しやすいですが、

アラビアにいたのは背中が大きくでっぱるだけのヒトコブラクダですものね。

 

とまあ、アラビアにも古くから確かにがヒトが住まっていたことは分かったわけですけれど、

世界史の中で一躍注目されるのは、やはりムハンマドの登場以降ですな。

 

先ほど、ムハンマドの登場以前は読むのに難儀したとは申しましたが、

しばしムハンマドという一本の軸があった語られるようになりましたので読みやすくはなりました。

 

されど、それも正統カリフ時代、ウマイヤ朝、アッバース朝(「世界史」の授業を思い出しますな)と進むにつれ、

イスラム世界はどんどん大きくなりますが、その過程ではあちこちで紛争がおきて、〇〇朝なる王朝が

大なり小なり、これまたたくさん出てくるに及び、「うむむ…」となるわけで…。

 

実はこの紛争が絶えなく、あちらこちらで領土争いをしているというのは

イスラム以前の歴史をたどっても同様なので、一概にイスラムばかりが争いの元と思ってはいけんところながら、

宗教的にはジハード(聖戦)を振りかざしていたこもまた事実。

 

どうやら元来、砂漠という資源、食料の少ない土地柄であるたけに、

そこに住まう人たちは利にさとく、戦って勝てば恩賞がもらえるという点で身の振り方を決めていたところもあり、

これが満足されるためには常に戦いが求められ、勝ち続けなければならないことになってしまうのですよね。

 

かつてのローマ帝国にも統治機能としてはそういう面があって、それで国が滅びたようなものでもありますが、

イスラムの場合にはそこに宗教性を持ち込んだことが少しばかり違うところかも。

 

かといって、イスラムの急激な拡大はいわゆる本気の信者が爆発的に増えたのではなく、

現世ご利益的な恩賞に釣られての部分があったといのは先のとおり。ではありますが、

自ら信じずるところと余りに齟齬があっては(いくら現世ご利益志向とはいえ)自分の中で収まりにくかろうと。

 

古来、まあどこの地域でもそうかもしれませんが、アラビアの人々もまた

さまざまなものごとに「神」を見出す多神教であったそうなのですけれど、

そこへもってきてアラーという唯一神の信仰が(それなりに?)受け入れた背景には

先んじてユダヤ教とキリスト教の広まりがあったそうなのですなあ。

宗教や文化の面においてイスラームの勃興が大きな革命であったことは論を俟たない。それ以前からユダヤ教とキリスト教の普及で、アラビアの住民の一神教化が進んでいたことは確かであるが、それでも「アラブのための一神教」としてのイスラームの誕生は画期的であった。

とまれ、時代が下るにつれて、イスラムの信仰は確かに根付いていったものとは思いますが、

キリスト教もまたいい例ながら、伝播の過程で教義解釈に違いが出てくる、そんなところから

今を見てもイスラム世界と言いながら、さまざまな国があり、しかも対立していたりもするということに。

 

アラブとイランの敵対、またアラビア半島の中にもサウジばかりでなく、

イエメン、オマーン、カタール、バーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)とあり、そのUAEの中にもまた

アブダビ、ドバイ、シャールジャ、ラスアルカイマなど7つの首長国がそれぞれに「国」となっている。

こうしたことを思うにつけ、ついつい日本の戦国乱世を引き合いに出したくなったりもしようかと。

 

ところで、かようなアラビア半島の歴史をたどるときに、

思いもよらずかなり大きな関わりがあったのがエチオピアなのですよね。

今では貧困と疫病などで、人道支援の大きな対象国といった印象ですけれど、

かつてはエチオピア帝国として周囲に大きな影響力を持っていたと。

 

コーヒーの木はエチオピアが原産とも言われますが、

そのコーヒーの交易で知られるようになるのがアラビア半島のイエメンであるわけですし、

歴史的にはやはり大きな関わりがあった…ということで、結局のところコーヒーの話に戻ってきてしまい…。

 

ですので、せっかくあまり知らないアラビアの方向に興味が向かったのも束の間、

次に読む本は講談社現代新書の一冊「『珈琲の世界史』ということに心づもりしておるような次第でありますよ。