群馬県立近代美術館の展示室を巡って、近代絵画の次には「現代の美術」のコーナーへ。
コンテンポラリー・アートは毎度刺激的なものがありますなあ。
ときにはいささか(個人的にですが)忌避感を抱いてしまうもの、無きにしも非ずですが。
忌避感の方面はともかくとして、そうでない方に目を向けますれば、例えば川俣正の作品とか。
ドイツのカッセルで5年に一度開催される「ドクメンタ」という大きな展覧会に出展した
「デストロイド・チャーチ・プロジェクト」用の模型が展示されていたのですな。
町中に「ある」建物をあたかも工事中であるかのように木材などで覆ってしまうという作風…といっては
アバウト過ぎるとは思うも、いささかクリストとジャンヌ=クロードの梱包するインスタレーションを思い出したりも。
巨大建築物、例えばベルリンのドイツ連邦議会議事堂などをすっかり梱包してしまうことで知られるこの二人も、
カッセルのドクメンタで注目されることになったようでありますね。
川俣のインスタレーション作品は木材で囲うというプロセスもまた見せる部分であって、
現在進行形であることを実際に時間軸の中で見せつつ、一応出来上がりという姿がまた
「工事中」という現在進行形であるかのような姿をしているのが、ユニークなところでもありましょうか。
ふと気付いてみれば(実は何十年もスルーしていたのですけれど)、JR立川駅の北口に
街角のあちこちに造形作品が置かれているファーレ立川という街区がありまして、
その一角に川俣作品が佇んでいたのですなあ。
どれが作品?…この建築現場の物置のようなものが川俣作品だったのですなあ。
この場所、右手のビルが建つ前は柵で囲ったのっぱらのようになっており、
そこに何か建つんだろうなあというようすを醸していたわけですが、その頃からこの作品はここにあって、
てっきりその建築用の物置でもあると、目の端で捉えながら見ていなかったという。
それだけ、溶け込んでいると言えなくもないですが。
今ではすっかり裏側の建物は出来上がっているわけですが、周囲も含めてやがてこれらの建物には
スクラップアンドビルドの時期が訪れることでしょう。そうなっても、依然としてこの物置は立ち続ける。
常に「工事中」ですよと言わんばかりに。
こんなふうにコンテンポラリー・アートは、見る側にさまざまなありようで「感覚の揺らぎ」を与えますが、
もうひとつ、こちらの平面作品はいかがでしょうかね。
福田美蘭(福田繁雄の娘さんですね)の「道頓堀」という作品です。
これまた美術館の解説シートのモノクロ画像ですけれど、
大阪・道頓堀の夜景を描いて本当なら光に、というより色に溢れている一枚でして。
上部はネオンサイン鮮やかな夜景そのもので、下側は道頓堀川に映る光のようす。
当然のように川面には揺らぎがありまして、それをデカルコマニーで表現しておりますよ。
これはこれで写実的ともいえるわけながら、この川面に映る光の揺らぎは
上側で想像される実社会の賑わいを映して実は淀んだ姿をも想起させるのですよね。
上が実像とばかり受け止めていると、光に眩惑されて実体にある淀みに気付かない…と、
そんなことに思い至ったりするのですなあ。
まあ、受け止め方次第のところはありますけれど、メッセージ性があるのかないのか、
それが作者の意図しているところなのかどうか、分からない部分はあるものの、
見る側なりの見方で感じるところがあればいいのでしょう。
そんなふうに考えれば、コンテンポラリー・アートを見るのが楽しみになりますですよね。