またまたキャッチーなタイトル付けの展覧会なのかな…と思っていたですが、

どうも様子が違ったようで。

損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「キネティック・アート」展のことであります。


キネティック・アート展@損保ジャパン東郷青児美術館


そもギリシア語に由来する「キネ(kine、cine)」は「動く」、「変化」を意味するということで、

「キネティック・アート」とは、動くアート、もしくは動くように見えるアートとなりましょうか。


そして、本展の単なる人寄せ的なカタカナ・タイトルではなくして、

1960年代のイタリアを中心にかような言葉でもって括られた作品群が続々と紹介されていたのだとか。

そうした作品を日本でお初に公開する展覧会なのでありましたですよ。


物理的には平面、平板な世界である絵画において、

動的な瞬間を描くことは古く古くから行われてきたことですけれど、

それがアカデミックな技法から離れて自由な描法が展開されるようになって、

動きそのものをどう描きとめるかの工夫が凝らされるようになりましたですね。


例えば、イタリア未来派、ジャコモ・バッラの「鎖につながれた犬のダイナミズム」(1912年)などでは

犬の足が動いていることを示すのに、動きの残像までを描いて、

ともすると足が何本もたくさんあるように見えるふう。

まさしく日本のギャグマンガにしっかりと受け継がれている描き方をしています。


また、マルセル・デュシャンによる階段を降りてくる人間の姿は、

もはや具象画とは思えない領域に入り込んでいたりもするような。


こうした実験的な作品が生み出された延長線上に、キネティック・アートはあるのでしょう。

そうした機運の中にあって、中心人物のひとりと言えるのがブルーノ・ムナーリであったそうな。


時代の状況が大いに反映してのことと思われますが、

「機械の君臨する世界への警鐘」を鳴らしたムナーリは一方で

役に立たないものこそアートの条件みたいなことを言って「旅行用彫刻」なんつうものも作っています。


この作品は本展でも展示されてましたですが、木材で作ったオブジェでして、

蝶番がついていますので折りたたみ可、どうぞ旅行の際には持っていって

ホテルの部屋に飾ってくだされというのがコンセプトのよう。

ですが、旅行に(折りたたみ式とはいえ、何十センチかの高さがある)オブジェを持っていく人も

本人以外にはおそらくいないでしょう。

役に立たないものの面目躍如であります。


と、「旅行用彫刻」はそれ自体動きませんし、動くようにも見えない…となれば、

参考出品のようなものとも思えるところですが、ではどんな作品が展示されているのか。


まずは動くように見える作品ですが、これは見え方(見せ方)の工夫でありますね。

場内に当然にある照明の光を利用するもの、またその影を利用するもの、

はたまた鏡を利用したりと、作り手はさぞ試行錯誤を繰り返したのではと思いますですね。


そうした中で、おっ!と思いましたのが、アルベルト・ビアージの作品でしょうか。

作品の前を人が動くことを前提して、鑑賞者が動くに従い、作品の表情が変わるというもの。

作りはシンプルですので、作ってみようかと思いましたですよ(実際には大変だと思いますが)。


一方で、実際に(基本的には電気モーターを使って)動く作品の方ですけれど、

作品ごと、足で踏むごとにオン・オフするスイッチが置かれていて、

動くところを見ることができるようになっています。


ですが、作品によっては何十年かを経たものですので、

壊れてしまって修理がきかない、あるいは壊れてしまうおそれがあるという理由で、

本来動かしてなんぼの作品がじっとそこに置かれているのは、実に哀しいというか・・・。


そばには動いている姿の映像が映し出されていたりもし、また展示されていないムナーリの作品や

ムナーリの企画によってミラノで1962年に開催された「プログラム・アート」展の会場の様子が

映像で紹介されているを見たりしましたですが、

結局のところ「動く作品」の見せ所は動いている瞬間ですので、

こうしたものがその後のビデオ・アートの始まりになるのだなと思いましたですよ。


動かなくなってしまったとすると、その作品自体が示す意味を疑うことにもなってしまいますですが、

動きを映像に収めて繰り返し見ることが出来るのであれば、そちらの方こそ作品ではないかと。

映像化することで、単に動きを見てもらうだけでなくて、動きの演出次第でどう見せたいかという

作者の意図を込められますから。


この辺りあたりになると、鑑賞者の動きは予測できないながら、その予測できない動きによって

それぞれにそのぞれの楽しみ方をしてもらおうという偶発性よりも

ずっとコンセプチュアルになるでしょうし。


…ということで、とにもかくにも実物をご覧にならないと何のこっちゃ?の話ではあろうかと思いますが、

コンテンポラリー・アートの先駆はこうしたものにあったのかと、

つながりを非常に強く意識することになった展覧会でありましたですよ。

作品そのものそれ以上に、あれこれ考える点で面白かったなぁと思いましたですね。