本来なれば昨日には、2021年最初のオーケストラ聴き初めとなるはずであったところながら、

例によって早々に欠席の旨を読響事務局宛に連絡しておりまして。なにせ状況が思わしくなく…。

「今回もやめておこう」と判断した時以上に、事はよろしくないことになっておりますなあ。

何せ、緊急事態宣言再び、ですものね。

 

とまれ、出かけていたとしたならば、こういうプログラムが聴けていたのですな。

R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」

ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番

ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」

 

2020年は読響の定期演奏会を出控える度ごとに、

巣ごもり自宅企画でもって演奏会ロスをしのぐ術としてきたわけですが、またしても類似のものを。

今回フォーカスしたのは、R.シュトラウスでもドヴォルザークでもブルッフ、

正しくは(?)マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフという長い名前の作曲家でありますよ。

ま、一般的にはマックス・ブルッフでしょうかね。

 

演奏会で取り上げられたのはブルッフ作品で最も有名なヴァイオリン協奏曲第1番ですけれど、

これ、個人的にはいささか苦手でして。最終楽章がどうも(個人的には)情熱的に過ぎる気がしますし、

それに至るまでにも「う~む…」と。

 

そんな具合ではあるものの、この一曲をもって作曲家ブルッフを片付けるわけにもいきますないと思い、

他の曲を聴いて見ることにしたという次第。交響曲を3曲書いていたのですなあ。

 

 

一聴して、「お!」と思うくらいにほどよくいい曲であることに驚かされました。

これって、も少し演奏される機会があってもいいのではなかろうかと。

 

あまり意識したことがなかったですが、1838年生まれのブルッフはブラームスの5歳年下、

ロマン派音楽がリストワーグナーにより、後にはマーラーやR.シュトラウスらによって

どんどんと新しい方向へ移っていく中、ロマン派の王道を貫いた人でもあったようですね。

 

1920年まで生きたブルッフには、そうした流れに対して保守的な、

ともすれば時代遅れの作曲家と見られてしまったようですけれど、

その当時の同時代的な流行りすたりとは関わりのかかわりない現在から見れば、

いかにもな、そして晦渋さに至っていないロマン派の真骨頂でもあろうかと思うところなわけです。

分かりやすく言いますれば、第1番のシンフォニーなどはすぐさまメンデルスゾーンを思い浮かべるほどで。

 

こんなふうに考えますと、ブルッフというひと、

19世紀フランス絵画の世界に擬えて見ますと、いわゆるアカデミスムの人なのだなあとつくづく。

芸術の、それまでの伝統を大事に引き継ぐとの自負が大きかった点で、そんなふうに思うのですなあ。

Wikipediaには「彼はロマン派音楽の中でも古典的な理想を掲げており…」とありますし。

 

フランス絵画の流れの中では、「印象派」などの新しいスタイルに対して

アカデミスムの画家たち、例えばジェロームなどは徹底攻撃しますけれど、ブルッフも

「フランツ・リストやリヒャルト・ワーグナーら「新ドイツ楽派」へは明らかな敵意を持っていた」(Wikipedia)と。

 

また、ジェロームらアカデミスムの画家たちの作品が時流のたどり着く先では忘れられていったのと同様に、

時代遅れ感を醸すようになってしまったブルッフの音楽も2、3の曲を除いてすっかり埋もれてしまったような。

 

さらに時代は移り、先にも触れましたように同時代的な流行りすたりからは離れた現代においては、

虚心にその曲に向き合って聴き入ってもいいような。それこそ、ジェロームらアカデミスムの画家たちの絵画に、

時代遅れといった意識を持つことなしに向き合うように。

演奏会でも、マックス・ブルッフの交響曲を取り上げてくれんかなと思ったりしたものでありますよ。