折しも、少々ポーランドの歴史に触れることになって思い出しましたですが、
もう2週間前ですかね、Eテレ「らららクラシック」(以前の放送を再構成したremix版)では
バダジェフスカの「乙女の祈り」を取り上げておりまして、この作曲者がポーランドの人でしたなあ。
日本ではこの曲に耳馴染みの無い人がどれほどいようかというほどに知られた曲ながら、
バダジェフスカの故郷ポーランドでは、曲名も作曲者名もほとんど知られていない…てなようすも
紹介されていましたけれど、こういうことって探せばいろいろと掘り出されたりするのではなかろうかと。
とまれ、この「乙女の祈り」が日本で何故かくも耳馴染みのメロディーになっているかということは、
かの番組でも触れられていたように、確かに「生活音」の一部になっているからでもありましょう。
人々が普段の生活をする中で、自宅内も含め、周辺から聞こえてくる(聞こえてきてしまう)音として、
聞き覚えがあるということになっているのであろうと。
と、そんな「生活音」ということで思い出したですが、お風呂の自動給湯が終わったときに
エステン作曲「人形の夢と目覚め」という曲(の抜粋)が流れると書いたことがあります。
しかしながら、その後に給湯器が壊れてしまい、業者に入れ替えてもらったところ、
何と!もはやエステンの曲を聴くことはできなくなってしまったのですなあ。耳馴染みであったのに…。
で、その代わりに別の曲が流れるわけでして、それがパッヘルベルのカノン。
今ではこれが生活音のひとつになっておりますよ。
そんな家の中の生活音ついでにもうひとつですけれど…といって、
これも先にマックス・レーガーのことを書いていて思い出したのですけれど、
全自動洗濯機の洗濯終了を告げるメロディーといいますのが、
マックス・レーガーが変奏曲を作る際に使ったモーツァルトの主題、
つまりはトルコ行進曲付きと言われるピアノ・ソナタ第11番K.331の第一楽章なのでして。
考えてみれば、元より変奏曲の形で作られているその曲のテーマでもって、
別の変奏曲を作っていたのですなあ、マックス・レーガーは。
それはともかく、給湯器のパッヘルベルのカノンにしても、洗濯機のモーツァルトにしても、
毎日のように耳にしているだけに、こういっては何ですが、実にやすっぽくなってしまうような。
本来の演奏でその旋律を耳にしたとしても、思い浮かぶのはお風呂であり、洗濯ものであり…。
なんとも罪作りな使用法ではありませんか。
もっとも同じことは(以前、書いたことがありますけれど)CMで使われたりする場合も同様で、
その曲を聴くともはやそのCMのイメージばかりが浮かんでしまうようになって…。
何かしらの機能を持たせた曲の使い方をするときには、
どうかあまり知られていない曲を持ってくるように作り手の方々には工夫を凝らしてほしいものです。
前の給湯器に使われていたエステンの曲のようなのがいいですねえ。