ライプツィヒ音楽軌道の別ルート「音色の弧線コース」はワーグナー生家跡から始まって西の方、

リングの外側に寄り添うような形になっておりますが、まずはトラムの電停ひとつ分くらいを歩くことに。

すると、コースからは外れているやに思いますが、ひとつまた記念碑が目にとまったのでありますよ。

 

 

碑文には1813年10月19日と日付が書かれていますけれど、

この年号で「ん?」と思えばやはりナポレオン戦争関係の碑でありましたよ。

 

1813年10月16日に始まるライプツィヒの戦いは、36万対19万と数でも士気でも劣るフランス軍が敗れるわけですが、

敗走戦となったとき、このあたりにあった川に架かる橋を爆破して、追撃を阻止しようとしたするも、

逃れる兵も多く、爆破のタイミングがつかめないのですな。

 

とはいえ、このままでは逃げおおせないと爆破に及ぶや、折しも大雨で川は増水しており、

たくさんの兵士が犠牲になったのだとか。その中にはフランス軍のしんがりを率いたユゼフ・ポニャトフスキも…。

 

このポーランド貴族は池田理代子の漫画「天の涯まで ポーランド秘史」の主人公になっている人ですけれど、

大国ロシア、オーストア、プロイセンに挟まれ、分割の憂き目に遭う祖国ポーランド再興のために

敵対国を打ち破りつつあるナポレオンのフランスに与する選択をしたわけですが、

結果的にフランスは敗退、ポーランドはまたしても分割されてしまうことになるのですなあ。

 

この場所はそんなポーランド分割の分岐点ともなったところと言えるのかもしれません。

その橋が架かっていたであろう川は護岸がっちりの排水路のようになってしまって、

今では激戦を偲ぶよすがにはなりそうもありませんですが…。

 

 

というところで、久しぶりに「天の涯まで」を読んでみたのですね、何せ8年前に読んだきりでしたので。

「朝日ジャーナル」の連載をまとめたようで朝日文庫で刊行されたときの表示は実に落ち着いたもの。

その後、これが中公文庫版で再刊されると表紙は池田ワールド全開の装丁になるのですけれど。

 

 

いやあ、話としては面白い。実の部分に虚を混ぜ込む技は「ベルサイユのばら」などにも十分見て取れるわけですが、

いかんせん、うっかりすると(そういう人は少なかろうと思いますが)「こんな歴史だったのか?!」と

まともに受け止めてしまう向きがあるかもということ。あぶない、あぶない。

 

主人公の隠された出自、それが故に母からは愛されず、兄弟の確執も根深い。

愛人はかつて父親が愛した人で、一方、主人公を慕う令嬢はやがてナポレオンに見初められ、

その求めに応じポーランドを救うためとナポレオンに差し出されてしまう、これを言い渡したのが主人公で…と、

歴史の衣をまとっていなかったら、救いようのない愛憎劇なだけにもなってしまいそうですけどねえ。

 

とまれ、歴史の変転の中では栄枯盛衰がつきものですけれど、ユゼフ・ポニャトフスキが生まれるよりも前の時代、

ポーランドはリトアニア、ウクライナなどをも勢力下に収める大国であったところながら、

国王が継嗣を残さず崩御したときに、新たな国王が大貴族の中から民主的に?選ばれ、

そういう国王だからこそあまり大権を持たれてはと国政に対して大貴族が拒否を突き付ける権利が与えられたと。

 

それぞれの利害に走る大貴族は、ロシアにすりよったり、オーストリアに取り入ったり、

はたまたプロイセンと気脈を通じたりして国のまとまりよりもおのが利益を第一に考え、

結果として国土は周辺大国に蚕食されるがままになってしまったのですなあ。

 

そんな状況を憂えていたユゼフは、イエナ・アウエルシュタットの戦いでプロイセンを打ち破ったナポレオンに

ポーランド解放の夢を託し、その麾下に入ってモスクワにまでも奮戦を続けたわけですが、

その後の命運はついにライプツィヒの戦いで尽きてしまうことに。

 

漫画の中にもその最期、橋は爆破され、川に流されるユゼフの姿が描かれています。

当時は追撃を恐れてナポレオンが橋を落とすよう命じるくらいに

ちゃんとした橋、ちゃんとした川だったのでしょうけれど、今は上のような景観の中で

「ああ、ポニャトフスキとともにポーランドの夢はここで潰えたのか…」と思いを馳せることになるのでありました。