年末に横浜お泊りをした際の書き漏らしをもう少々書いておきたいところでして、
そのひとつがシルク博物館を訪ねたことなのでありますよ。
開港広場に向き合ってシルクセンターという建物があり、
その中にシルク博物館なる施設が入っているということは以前から知っておりましたが、
一度も覗いたことがない…ということで、これを機会と考えたのですなあ。
以前、関内あたり をぶらりとしたときにも、建物前の碑に目をとめて、
「ああ、ここにジャーディン・マセソン商会があったのだね…」と思ったりはしたですが、
幕末明治に横浜から輸出される日本産品の目玉のひとつが生糸だったことから、
後にシルクセンターのビルがここに建てられたのでありましょう。
そもシルクセンターは戦後復興には生糸貿易の振興が必要との考えから誕生したものとか。
併設されているシルク博物館はその広告塔の役割もあったのでしょうけれど、
1959年の開館当初から展示が変わらないということはなかろうものの、
今やあまりのレトロ感は反って貴重なのではと思う一方で、
濃厚な「取り残された場所」感は何とも言い表しようがないと申しましょうか。
上州や甲州、秩父などで作られた生糸はいったん八王子に集まり、
その後横浜から輸出されていった…てな歴史を解説する部分もありますが、
このあたりはむしろ規模的に小さい絹の道資料館 @八王子の方が分かりやすいような。
ですので歴史とは違う側面に目を向けることにして、
まずカイコが作った繭をほどいて糸にするとどのくらいの長さになるのか?といったあたり。
なんとまあ1200メートルあまりにもなるというのですよね。
カイコってせいぜい体長は10cmくらいなものだろうと思いますけれど、
その小さなの体の中から1.2キロに及ぶ糸をはきだしていたとは!
そのためには、食料たる桑の葉をよほどわしわしと食すのだろうと想像しますね。
小学生の頃に教室でカイコを飼っていた(たぶん理科の授業でしょう)ですが、
ずいぶんと勢いよく葉っぱを食べていたような記憶がありますな…と、ところがです。
解説によりますと「蚕が幼虫の期間に食べる桑の葉の量」はといえば、
これまた何と!たったの21~25グラムなのだそうでありますよ。
25グラムといえば定型郵便を82円で送れる重さですから、軽いですよね。
それだけしか食べないのに1.2キロもの糸を吐き出せるとは、
いったいどんな仕組みになっているものやら…。
もっとも長さを稼ぐ分、それだけ糸が細いということになりましょうね。
ですから、着物一式を作るのに使う繭の数は9000個にもなるのだそうです。
(と、そういうことを説明するこの展示、レトロ感ありますよねえ…)
ですが、たくさんの繭の中には良品もあればそうでないものもあろうかと。
そこで「古くから日本の養蚕農家では生糸の製造に適していない玉繭や出穀繭など
くず繭を使って真綿を作ってきました」ということなのですねえ。
要するに「くず繭」といえども、というより殖産興業とは直接的に関わることのない庶民もまた
布団にしたり、綿入れを作ったりと、十二分にその恩恵に預かっていたという次第。
ま、こんなことを言うのも、いい大人になるまで蚕由来の「真綿」と
綿花からとれる「木綿」との区別がついておらず、単に「綿」という認識しかなったからですが…。
ということで、全く知るところが無かったわけではないシルク博物館ですけれど、
とはいえ映像コーナーのビデオは昭和30~40年代くらいのものですかね、
開館当初から変わらぬ由緒ある映像やもしれませんが、
これは新しくした方がいいような気がしますなあ。

