さて、横浜都市発展記念館前であれこれの遺構 を見た後は、

港の方向へと歩を進めたのですね。


まずは大さん橋入口の交差点を渡って大桟橋通りを進み…というところで、
またしても早速に記念碑が。なかなか先へ進めませんが、やはり足を止めてみるわけです。

「電話交換創始之地(横浜電話交換局跡)」碑@大さん橋入口交差点際


「電話交換創始之地(横浜電話交換局跡)」と書かれてありまして、

明治23年(1890年)12月16日、ここにあった横浜電話交換局で、

横浜と東京の間、そして横浜市内に日本で初めての電話交換業務が開始されたのだとか。


いやあ、何事にも始まりがあるものですなあ。

ちなみに碑の置かれたビルは工事中でぐるり囲われていましたが、

今でもNTT関連の建物ですかね。


と、そこから大桟橋通りを少々海寄りへほどなくして、今度は道路際にまた記念碑が。
こちらには「近代のパン発祥の地」と記されておりました。


「近代のパン発祥の地」碑


1859年、幕府はこのあたりに外国人の日用食料品街として「お貸し長屋」を建てたのだそうな。

その一画で、フランス人にパンの製法を習って日本人が「パン屋」を始めたのが1860年とか。


日本でのパン作りに関しては、前に伊豆・韮山代官だった江川邸 を訪ねた折、 

江川英龍もパン作りを試みたことが紹介されていたやに思いますけれど、 

フランス人に習っても当初は「焼き饅頭」のようなものができたと伝えられているようで。


とはいえ、ともかくこれが「現代日本人の日常生活につづくパン食文化の始めである」として、

この碑の建立に繋がるのですな。


先に文京区関口に訪ねた、いささか歴史ありのパン屋 さんもフランス仕込みで、

横浜でもまたフランス人に習っている。パンといえばフランスであるか…と思うところながら、

その後、横浜にはイギリス人クラークのパン屋「ヨコハマベーカリー」が登場し、

ここでの修業を受けつぎ発展したのが元町の「ウチキパン」とか。

イギリス仕込みだけにイギリス流の山型食パンが作られているようです。


とにもかくにもこのあたり、外国人が行き交っていた界隈と思われるわけですが、
そうした場所にはやはり教会もできますね。横浜海岸教会です。


横浜海岸教会


「我が国最古のプロテスタント教会につながる由緒ある教会堂」と解説板にありますけれど、
確か日本への西洋音楽の移入の歴史 に大きく関わっていた教会だったですな。


そのことはお隣にある開港広場に面した横浜開港資料館の展示で見たわけですが、 

開港広場と旧英国領事館であった開港資料館のことは以前触れたのでちと端折って、

開港広場前交差点を渡った反対側で見かけた史跡をひとつ。


「史跡 英一番館跡」@開港広場交差点角


安政六年(1859年)に横浜が開港するや、英国人ウィリアム・ケズウィックは早速に来航、
居留地一番館にジャーディン・マセソン商会を置いて貿易を始めたということですが、
商会の建物を当時の人々は「英一番館」と呼んでいたのだとか。

その建物跡に「史跡 英一番館」と碑が立っているわけですね。


今ではシルク博物館なんかが入っているビルになっていて、
これも開港早々に始まった貿易で、シルクが大きな輸出品目だったからでありましょう。

というところで、ようやっと海と対面しに歩を進めてまいります。