大さん橋入り口の交差点角にある旧横浜市外電話局の建物 は現在、
横浜市発展記念館と横浜ユーラシア文化館とやらが入っているようですね。
そうした施設の駐車場から前庭あたり、史跡とそれに関わる屋外展示が並んでおりましたですよ。
まずはこちら。まったくもって駐車場の出入口かと思えるところで、
わざわざ目立たないようにしているのではと勘繰るくらいですけれど、
とまれそんな場所が「消防救急発祥之地」なのだそうでして。
なんでも昭和8年(1933年)2月に日本で初めて、この地にあった当時の山下町消防署に
救急車が配備され、運用を開始したとのことです。
一方で、「消防救急発祥之地」との表示の上には
「旧居留地消防隊地下貯水槽」とも書かれてありますですね。
どちらかといえば、こちらの方がより歴史的と言いましょうか。
レンガ造りのカマボコ型屋根の部分が地下貯水槽の遺構。
元来、埋められていたものでしょうから、少々階段を降りて見に行く恰好です。
この貯水槽は、明治4年(1871年)から明治32年(1899年)まで
ここを本拠地とした居留地消防隊(Yokohama Fire Brigade)の防火貯水槽として
建造されたものであるとか。
昭和47年(1972年)まで使用されていたそうですから、
居留地時代から100年以上現役だったとは大したものです。
ちなみに今でも地下水の流入があって常時貯水されているようすを覗くことができました。
と、この遺構のある場所から続く横浜都市発展記念館の前庭には、
横浜の各所から集められた近代化を語る土木遺構が並べられておりました。
まず、四角く並べた写真の左上は「神奈川台場の石」だそうな。
神奈川台場は湾岸警備のために勝海舟が設計して築造された砲台ですけれど、
万延元年(1860年)の完成するも「外交使節の来航時に祝砲などを放つ砲台」として使われた…
とは何とも皮肉な話と申しましょうか。
お隣は明治10年代に設置されたという「卵形下水管」(たまごがたでなくらんけいと読むらしい)。文明開化にあわせて、下水道 設備も早速に煉瓦造りになっていったのでしょう。
左下は「横浜市瓦斯局時代の1906年(明治39年)に完成した4号タンクの基礎」だとか。
こうしたガスの貯蔵場所を確保したうえで、ガスを行きわたらせるのに必要なのがガス管。
お隣は「国内最古のガス管」とみられるものだそうですよ。
「日本で最初にガス事業を興した横浜瓦斯会社(のちに横浜瓦斯局と改称)の創業時に
資材を購入したイギリス(グラスゴー)のレイドロー社のイニシャルがあ」ることが、
国内最古の裏付けになるそうです。
そうしたガス管を通して供給されたガスでもって
明治の世を明るく照らしたのが「ガス灯」でありますなあ。
本物は後ろに写っている近代的な建物の横浜都市発展記念館所蔵品として館内展示され、
前庭に置かれたガス灯はレプリカで、ちなみにこれ(の本物)もレイドロー社製とか。
このグラスゴーの鉄鋼業者とは結構な付き合いがあったようですな。
日本の産業史ばかりでなく、外国の企業史、そして日本との貿易のようすなども
見ていくと面白いことが分かるかもしれませんですね(まあ、その方面はおいおい…)。
と、こうして前庭の展示をひとわたり見てきますと、
横浜都市発展記念館内の展示も気になるところですけれど、
(しかもこの日はタウンフェスティバルとの関係か入場無料になってましたが)
十分に館内を見て回れる時間がなさそうな(演奏会 を聴くという主目的がありました)ので
後ろ髪はひかれつつも、ぶらりを先へ進めることにいたします。