と、やおら街角で野戦砲 を見かけたわけですが、その建物の角を左へ折れて
日本大通りの方へ戻ることに(中華街界隈の探訪はまた別の機会ということで)。
すると、またひとつ解説板が目にとまったのでありますよ。
今ではすっかり高級マンションの玄関口となって、
これが歴史を語る説明板と気付かずに人々は通り過ぎるばかりであるような。
元はこの地には英国貿易商社・ストラチャン商会としてかような建物が建っていてそうですが、
解説板の置かれた裏道沿いには倉庫があったとのこと。
かつてこのあたりは外国商館がずらり建ち並んでいたようでありますよ。
と、そんな裏道が再び日本大通りに出た角もまた由緒があるようで。
中央に見える銅板が縦に3枚嵌まっているところに解説がありました。
現在はフランス料理&洋菓子の横浜かをり山下町本店が入るビルの前ですが、
ここは「日本のホテル発祥の地」なのだということです。解説に曰く、
開港直後の万延元年(1860年)2月、オランダ人によって「ヨコハマ・ホテル」が造られ、
シーボルトやワーグマン、クラーク博士らも宿泊滞在し、特に料理のおいしさで知られたとか。
ちなみに築地の居留地に「築地ホテル館」が誕生したのは慶応4年(1968年)ですな。
そういうことであれば、もしかするとこの「横浜かをり」というお店はただものではない存在かと
思ったところながら、後で調べてみますと創業は1969年でありました…。
と、日本大通りを一旦横切ろうとして、大さん橋入口の交差点で横断歩道を渡ると、
角に建っているタイル貼りの建物は旧横浜市外電話局であったということで、
これまた案内表示が立っておりました。
これまで見た解説板の類はその設置者の違いからか、かなり自由な形をしていましたが、
この道路際に佇むバス停まがいの形式がどうやら行政によるオフィシャルなものらしいですな。こんな解説が記されておりました。
戦前逓信省営繕組織の設計による建物の貴重な現存例。当初表現主義の色彩の濃い設計で建設が進められていたが、関東大震災に遭ったため現在の設計になった。
気になるのは「表現主義の色彩の濃い設計」であったという部分。
建築での表現主義は例えばハンブルクで見たチリハウス のように
存在を自己主張するくらいなところがありますから、当初の設計で建てられていたらと
詮無い思いを抱いてしまいますなあ。
と、この後はさらに海の方へ向って…と思っていたわけですが、
この「旧横浜市外電話局」の看板からさらに少々海とは反対側に何やらありげな気配が。
海風に当たるのはもそっと先延ばしして、戻ってみることにしたのでありました。