さて、ぶらり歩きで横浜公園 を抜けた後には日本大通りへ。
先に公園内で見た解説板にあったように、防火道路の機能があったからこそこの道幅なのだねと。
公園から日本大通りに出てすぐ右手のビルは、
すでにして歴史ある建物?と思わせる面構えでありますけれど、
(どうやら旧関東財務局横浜財務事務所ということであるらしい)
玄関周りにもそっと修繕の手をかけたらいいのに…という印象。
中に入っているのは近寄りがたい高級カフェかとも思いましたら、
「The Bays」という球場の外でもベイスターズを応援してね的施設なのだとか。
ところで、歩いた当日は何やらタウンフェスティバルだかいう町ぐるみイベントが開催中で、
横浜スタジアムも日本大通りもうじゃうじゃの人出。
だもんで、それを避けるようにまた裏道へと入り込んで行くことにしたのですよ。
すると、ビル自体は新しいながら「旧横濱居留地183」の表示を発見。
かつての居留地そのままの区画が生きているのかね…と思ったわけですが、
「Harbour's moon」となるこの建物は何ぞ?と思えば、
「ありあけのハーバー」という言葉をのせるメロディーが思い浮かぶ
あのお菓子のお店ではありませんか。
「旧横濱居留地」なんつう看板があったことでもあり、
もしかして明治から続く老舗の洋菓子店であったか?!と
いささかの関心を示したところがそれほどの歴史ではなさそう。
どうやら昭和の創業のようですね。
もっとも「ありあけのハーバー」を作っていた元々の有明製菓は倒産してしまい、
新生会社が復活銘菓として「ハーバー」を作っているのだそうな。
それほどにあのCM(♪ありあけぇのぉはぁあばぁあ~)は有名だったということでしょう。
と、「Harbour's moon」のビルからもそっと中華街よりに進むも、
中華街に到達しないうちに路地へ折れるとその先にはかようなものが唐突に。
Google mapなどでは「和蘭式野戦砲保存展示」と出てきますですが、
隣接の解説板には単に「大砲の由来」とあるのみ。
ではありますけれど、その由来はなかなか興味深いもの。引用してみます。
歴史をたどれば嘉永七年米国使節ペリーは、艦船数隻を率いて日本に開国通商を迫り幕府は、会見の場所を横浜に設け施設と交渉せしむるに当り松代、小倉の二藩に警衛を命じた。松代藩佐久間象山は軍議役として和蘭新式野戦砲二門、牛角砲二門、本込銃の外鎗刀兵等の装備にて威風堂々と出陣し幕府を驚愕させたが、運命遂に黙止しがたく断腸の思いにてこの地に埋没したものです。
ま、伝承で史実がこのとおりであったかは分からないところながら、
何やら妙に佐久間象山の姿が颯爽として見える気にはなってしまいますなあ。
それにしても、縄文とか弥生とかそれほどまでに古いものではないにせよ、
掘れば何かしらでてくるのが横浜でもありましょうかね。
野戦砲展示の、通りの向かい側には古びた街灯がひとつぽつんと。この街灯ももしかして
つかのま横浜の歴史を垣間見つつ佇み続けているのかもしれませんですねえ。