鳩山会館 に向かう途中で、ちょいと寄り道して昼食をとったのがパン屋さん。

いわゆる「億ション」が立ち並ぶような町の中ですので、

そこで焼き立てパンを供するようなお店となりますと

「ブーランジェリー○○」みたいな名前を想像するところですが、

至ってシンプルに「関口フランスパン」というのでありました。


店構えはすっきりおしゃれで、お惣菜系のパンをいくつか(写真を撮るでもなく)

そそくさと店内イートインで食してしまい、まずまずおいしいと思ってその時はおしまい。


ですが、帰り際にもらってきたお店のリーフレットに後から目を通して見て

「へえ~、そうなんだぁねぇ」と。そういうお店のなりたちなんだぁと思ったわけでして。


1873年、それまでは江戸幕府同様にキリスト教を禁じていた明治政府が

外国と付き合っていくにはこのままではよろしくないと考えたか、禁教を解くのですな。

待ってましたとばかりにたくさんの宣教師がやってくるようになるわけです。

って、それ以前にもやってきておおっぴらに布教ではなく、

庶民の蒙を啓く活動を通じてキリスト教に近付いてもらおうとしていたとは思いますが。


ただこうしたときに、もっぱらプロテスタント系の宣教師が活動していたように思ってしまったのは

たまたまそちら系の方々の事績に触れていたからかもしれません。

例えばヘボン式ローマ字を作った人で明治学院大学の創設者であるヘボンですとか


なにしろかつてのキリスト教禁教を招いたのは、ポルトガル、スペインというカトリック国が

布教と貿易をいっしょくたに迫ったあたりにもあったでしょうから、カトリックに警戒心があったかも。


とはいえ、禁教が終わったとなればカトリック教会も日本という新たな市場を放っておけず、

スペインでもポルトガルでもなくフランスから宣教師を派遣するのですなあ。

遅ればせながら1877年、後にカトリック東京大司教区の大司教となるオズーフ司教が

ローマ法王の使者として派遣されてくるわけです。


そして、このカトリック使節が拠り所としての教会を構えるのが文京区関口の地でして、

ようやくパン屋とのつながりが見え始めましたですねえ。


そこで、東京におけるカトリックの司教座教会は関口教会となっているわけですが、

一般的には東京カテドラル聖マリア大聖堂といった方が人口に膾炙しているのではないかと。パン屋からもほど近い高台にあるこちらの建物ですね。

(通りすがりましたが、立ち寄るのはまた今度ということで…)


東京カテドラル聖マリア大聖堂


とまれ、そのカトリック関口教会(当時は前身の聖母仏語学校)において、

司祭のジャン・ピエール・レイが孤児の子供たちに手に職をとパン作りを思い立ち、

一人を選んで仏領インドシナに派遣、「フランスパン」の製法を学ばせたのだそうですよ。


パン職人としての帰国を待ちうけ、1888年に関口教会製パン部として創業したのが

「関口フランスパン」の始まりであるということです。

フランスには行ってませんが、本場仕込みのフランスパンを謳う所以ですなあ。


お店のリーフレットに曰く「130年前、フランス人宣教師が伝えた味を受け継ぎ、

現代の職人がその1つ1つに風味と真心をこめて作り上げた関口のフランスパン」とあるのを

食す前に気付いておれば、もそっとありがたく歴史を噛みしめながら味わったことでありましょうにねえ。