今回のロシア滞在中、4月とはいえ東京の2月くらいの気温で…とは先に申しましたですが、
サンクトペテルブルクで迎えた最初の朝は何しろ雪が舞っておりましたもので、
外へ出てみた印象は「スキー場に来たような感じだな」ということ。
ま、厳冬期にはマイナス30度にもなろうかという土地柄なれば、
「ぬるい、ぬるい」でありましょうかね。ですが、日本に帰って来るにあたっては
「もう4月半ばだし、さぞ東京は暖かくなっていようなあ」と思っていたところ、
どうもそうでもないような。
気温自体は明らかにロシアの方が相当に低いわけながら、
東京ではどうも体感的に肌寒い気がするのですなあ。
このあたり、暑さ寒さは気温の絶対的な数値よりも肌感覚によると言えましょうか。
ただ、こうした思いの背景には、ロシアの建物内と自らの住まう木造住宅とでは
室内の暖かさに格段の違いがあると言って差支えないところかと。
とにかく建物内はともすると暑いくらいでありますから。
これは都市暖房がセントラルヒーティングによって実現されていることのようですね。
セントラルヒーティングというと、印象は悪くないようにも思うところながら
要するに中央制御による暖房システムで、言葉からすると「ん~、社会主義的…」てな気にも。
ま、このシステムが作られたのが社会主義時代ですからねえ。
ツアーバスの車窓からはかような火力発電所が、サンクトペテルブルクでもモスクワでも
あちらこちらに見えるのでして、ここで出る排熱がパイプラインを通して町なかに暖房とお湯を
無料供給しているのですよね。
ところで、空港からサンクトペテルブルク中心街への途中に位置する宿泊先ホテル。
これが1980年のモスクワ・オリンピックに際して建てられたものらしいですが
(サンクトペテルブルクでも一部の競技が開催されたのだそうな)
実に大きなホテルなのですなあ(ちなみに翌日の朝、晴れてたときに撮ったものです)。
この長い正面だけでなく裏側にも同じような棟があり、当然にその長辺を結ぶ短辺もある。
よほどオリンピックの人出を見込んだか(資本主義国はこぞってボイコットでましたですが)、
最初から「パーク イン バイ ラディソン プルコフスカヤ ホテル&カンファレンス センター」という
名のとおりに大規模な集会を当て込んで作ったか、今では中国からの大量客を引き受け先にもなっているようでありますなあ。
この後にモスクワにも移動し、巨大建築はそこここで見ることになりますけれど、
先に「インポッシブル・アーキテクチャー」展 で抱いた感想どおりに
建物自体がプロパガンダなのだなあと、つくづく思うところです。
ついでに巨大建築という点ではホテルの目の前にある大きな広場にも注目。
建築以上にモニュメントはプロパガンダ性が高いですものねえ。
「勝利広場」と言われているらしいその場所には、
第二次大戦時の独ソ戦での勝利を記念するモニュメントが天を衝いて立っているという。
(ロシアではナポレオン戦役 を「祖国戦争」といい、第二次大戦の独ソ戦を「大祖国戦争」という)
取り分け独ソ戦に際してサンクトペテルブルク(当時は当然にレニングラードでしたが)は
ショスタコーヴィチ の交響曲第7番の作曲経緯にも絡むレニングラード包囲戦 で
2年半にわたる砲撃や食糧欠乏による飢餓などに耐え抜いたわけですから、
かかる記念碑があることもむべなるかなであろうかと。
とまあ、そんな郊外のホテルを出発し、
観光へと繰り出す(連れ出される?)のでありました。



