松阪で三井家発祥地 から参宮道を少々奥へ入っていく道すがらは、
先に見た伊勢河崎 の商人町ほどに昔の佇まいを残してはおりませんけれど、
時折おっと目を引くような昔らしさがあったりするのですなあ。


松阪商人の館(旧小津家住宅)

こちらは「松阪商人の館」として公開されている施設になりまして、
松阪商人の中でも豪商に入る小津家の住宅であったところです。


実はそもそも伊勢松阪に行ってみるかと思いましたのは、ここを訪ねるのが目的でして。
そもそもここに何かお目当てがあるというわけではありませんで、
しばらく前になりますが、お江戸日本橋のあたりをぶらりとした折に
ひょいと入ったのが小津和紙店であったのですなあ。


和紙の関係のミニ博物館のような施設・小津史料館でもあって立ち寄ったですが、
その時に「ここは江戸の出店で、本拠地は松阪。今は屋敷がこんなふうに」と
店員さんが見せてくれたのが「松阪商人の館」の案内リーフレットだったというわけです。



実際に訪ねるまでに何年も過ぎてしまいはしたものの、
たどり着いてみれば「ここかあ」と何やら感慨深いものがありますですよ。



「三角に久」を看板にした小津家の豪商ぶりですけれど、
江戸期に流行った見立番付のひとつにこのようなものがありました。



「大日本持〇長者鑑」の中で位置的に西の2番目、関脇といえましょうかね、
そこに伊勢の小津清左衛門の名前が見えますが、これが小津家の当主ですね。
(ちなみに勧進元の欄に三井八郎右衛門がいて、こちらは別格扱いですな)


嘉永七年(1854年)に出た「江戸自慢持丸地面競」という長者番付では
江戸市中に112カ所の土地持ちということで小津清左衛門は9番目にランクインしていると。


こちらもちなみに1位は越後屋の360カ所だそうですが、
おそらくは江戸で長屋住まいの熊さん八つぁんたちは松阪商人の土地と知ってか知らずか、
お世話になっていたことでしょう。店賃をためると大家さんに叱られるとはいえ、
大家さんは豪商たちに油を搾られていたのかもですなあ。


明治になっても「紡績会社や郵便船会社等の経営に参画」し、
三井家などとともに宝暦年間以来紀州藩の御為替御用を務める資金力から

明治32年(1899年)には松阪に小津銀行を設立したりもしたという。


さりながら関東大震災の影響や昭和2年の金融恐慌で経営が悪化し、
紙の商売に本家帰り、現在に至るということのようです。


そんな小津家のお屋敷はこれもなかなかの広さでありますね。

ざあっとひと巡りしてみましょう。





箱階段のところに花が活けてありましたのは、ちょうどイベントがあったようで。

そうでなくても、とてもきれいにされておるなあという印象です。


まあ、千両箱ならぬ万両箱(千両箱が10個入る)なんつうものも常備されていたという

(さすがに持ち運びできるものではなく、ふちのところまでは地面に埋めてあったとか…)

資産家も資産家で、かつ商人としての使いようということでありましょうかね。


小津家の万両箱

ところで、昔の映画監督で小津安二郎 という人がおりますけれど、

前に東京・深川 を巡ってその辺りの出身と聞き及んでおりましたので

単に苗字が一緒なだけかと思いましたら、やっぱり松阪の小津家の一族なのですなあ。


安二郎の父親は深川の海産物肥料問屋「小津商店」の番頭を任されていたようで、

安二郎が深川生まれだったのはそれ故のことでもあろうかと。

そして、生まれは深川ながら後に松阪に移って小学、中学とここで過ごしていたそうな。


で、ふいと気付けばここ松阪に「小津安二郎青春館」なる施設もあると。

レンタサイクルの機動力をもってしても、予定には加えかねるなあ…ともどかしい思いをししつ、

次の目的地へと向かうのでありました。