ということで松阪駅 から近鉄山田線に乗って斎宮駅へとやってまいりました。
下車したのは3人ほどでしたか。
この出口とは反対側、線路の向こう側の方が町の入口らしく、
こちらの出口を利用した人は誰もおりませなんだ…。
まあ、反対側の出口にしても結局のところ斎宮駅は無人駅だったでして、
かような案内板があったりするようにちょっとした観光地だと思うのですけれど、
世の関心は薄いということでもありましょうかね。
ですので、ここでひとつ、上の写真の案内板にある解説を引用しておきますか。
斎宮跡とはなんぞ?という説明です。
斎宮は斎王の宮殿と斎宮寮という役所のあったところです。斎王は、天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため派遣されました。制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女で、制度が廃絶するまで約660年間続き、その間60人余りの斎王が記録に残されています。
670年頃から約660年続いたということで、建武の新政の頃に廃絶したようですが、
ほぼ制度があった期間と同じくらい無くなったしまってからの期間が経っていますし、
歴史的な大事件に関わったということでもありませんので、
斎王がいた、斎宮があったと知る機会もあまりないでしょうなあ。
個人的には三重テレビ制作の「斎王~幻の宮の皇女~」
という全10回の番組を
たまたまTVKで放送しているのを見たことで、知ったような次第。
以来、いつかはこの場所(斎宮跡)を訪ねてみようと考えていたのでありますよ。
そんな経緯でやってきた斎宮駅の目の前には大がかりな建物がありましたですが、
これは「いつきのみや歴史体験館」でして、体験の言葉通りに十二単を着てみたり、
草木染めや機織りをやってみることができるという施設。
時間的に開館前でもありましたので取り敢えずは中も覗かず、先へ進むと
歴史体験館裏手の開けたところに「1/10史跡全体模型」が広がっておりましたよ。
発掘によって斎宮のようすがだんだんと解明されつつあるようですが、
斎宮跡の概要をまた解説板から引用しておくことに。
これまでの発掘調査から、平安時代前期に碁盤目状に区画が整備され、整然と建物が並んでいたことが判明しています。地割は、1区画が約120メートル四方で、東西7列・南北4列並んで構成される大規模なものでした。
上の図で赤い四角が並んでいる部分がありますけれど、
平安の頃にはこうした区画が整備された上に斎宮を構成する建物が建ち並んでいたのですな。
120mが東西7区画、南北4区画となりますと、東西が840m、南北480mで面積は約40万平方キロ。
よくある換算では東京ドーム約4.7個分となるようですから、斎宮とは広かったのですなあ。
で、とても全体を再現できない(まだまだ周辺地域の発掘は続けられてもいるようですから)と
10分の1の大きさで再現した模型が置かれているということのようで。
手前に「近鉄線」という立札がありますように、
平安期には近鉄の線路に区分けられることなく斎宮の敷地が広がっていたのでありましょう。
とまれ、10分の1の模型をどう受け止めるかは人それぞれかもしれませんですねえ。
なんだかチンケな物と思うか、拡大した本当に近い姿を想像するよすがとするか。
個人的には両方の思いがありましたけれど、それでも「広かったんだなあ」とはしみじみ。
しかしながら、チンケなと思っていても思い切り近付いて覗き込んだりしてみると、
それなりに面白かったりはするのですよね。
中には人形の配してあるのもあったりして、
天下のプレイボーイ在原業平 がついつい斎王にちょっかいを出してしまうの図を
再現したのでもあるかのような…(とは妄想ですが)。
とまあ、そんなようすだったのだなあ…と遠い目でもって斎宮跡を眺めやった後、
今度はもそっと斎王と斎宮にまつわるあれこれを知るために
斎宮歴史博物館へと向かうのでありました。