ちょっと前に千代田区立千代田図書館での企画展示 を見て、
どうにもこうにも日本の古典の知識がないものだ…と思ったものですけれど、
その後にアーサー・ビナード さんのエッセイなんかを読みますと、
アメリカ人でもこれだけいろんなことを吸収消化しているのに…とも
思うわけですね。


ですので、先日触れた「伊勢物語」が果たしてどんなお話だったのかと
遅まきながら手に取ってみることにしたわけです。
が、とても原文では無理だろうと早々に弱気の虫が頭をもたげ、
田辺聖子さんによる現代語訳で取り敢えずは。


現代語訳 竹取物語 伊勢物語 (岩波現代文庫)/田辺 聖子


たぶんというかきっとですが、古文の教科書にも載っていたであろう「伊勢物語」。
辛うじて記憶の隅にひっかかっているのは「東下り」くらいのところでしたですが、
こういうお話だったのですなぁ。


主人公の「男」、在原業平とされているわけですが、
この主人公の、俗な言い方をすれば女性遍歴物語であって、
それこそよくまあこれだけとっかえひっかえ…と思ったりするところです。


和歌による相聞が織り込まれて、
それが情趣豊か(と即座に解するほど分かってませんが)なだけに
雅やかな世界と思い込んでしまいそうですけれど、
よおく考えるとドン・ジョヴァンニ(ドン・ファン)にも似たような気が。


決定的に違うのは、最後に石像になった騎士長に
地獄の業火へと突き落とされてしまうのがドン・ジョヴァンニの末路であるのに対して、
業平は天寿を全うするようですし。


もっとも桓武帝の曾孫、平城帝の孫という、
皇族(臣籍降下してるので、元と言うべきか)の中でも嫡流中の嫡流ながら

出世からは縁遠い点は、「源氏物語」で栄華を極める光源氏と違って

リアリティーがあるといいますか、現実は厳しいことを伝えておりましょうかね。


業平の出世の遅れは女性関係ばかりでないにせよ、
何かと風聞が乱れ飛ぶ状況の中で最終的に従四位下、頭中将まで行っただけでも、
当時の性に関する考え方が太古の大らかさを残していたと言ったらいいのかも。


ただ、その「大らかさ」というふうには個人的には受け止めにくく感じてしまったのものですから、
あれこれ考えを巡らせてたどり着いた得心はと言いますと、
「伊勢物語」は宮廷廻りでこんなこともあった、あんなこともあったというのも、
さも在原業平ひとりが主人公であるかのように(実際には「男」としか言ってないわけで)
まとめてしまったものと考えたらよいのかも…ということでありました。


個々には本当にあった(そしてその内のいくつかは業平絡みの)の恋愛模様、
本来まとめるならばオムニバスにならざるを得ないところを業平という人物の生涯に
当てこんで作り上げた物語なのかもしれんというわけです。


ま、このあたり、あれこれ考えてとやかく言わずとも
女性にもててもててしょうがない男性ならば、

「そんなの、普通にあるじゃん」的なことなのかもですが…。


ということで、「伊勢物語」にあたっただけでは

必ずしも判然としない業平の人となりや時代背景といったあたり、
これを少々補うべくもう一冊の本、三田誠広さんの「なりひらの恋」を読んでみたのですね。


三田誠広「なりひらの恋」

「伊勢物語」に歴史の要素を加えて小説に仕立てた在原業平物語ということで、
史実はこうだった!というところまではいかないものですから、
作者は「業平」と言わず、あえて「なりひら」と言っています。


さきほど業平の官位官職に触れましたが、歴史に残るような大活躍をしたわけでもなく、
かといって大悪事に手を染めたものでもありませんから、
「英雄、色を好む」というよりは「色男、金と力はなかりけり」なのだとよおく分かりました。


そして、歴史的な転換点である大事件みたいなものに光を当てたわけではない、

(とはいえ、業平を帝につけようとの思惑が、本人に関わりないところで囁かれたりはしますが)

普段着の平安朝(庶民の世界ではないものの)を垣間見た気がしましたですよ。


ところでこの本、最初は作者も「伊勢物語」を意識しすぎたのか、なぞってるふうでしたが、
そのうちに「こう書けばいいんだ」と思ったのでしょうね、俄然読みやすくなりました。


まあ、そういう本なだけに

そもそもの原典に雅を思うタイプの方には向かないのではないかと思いますし、

じゃあ古典入門にいいかというと、ううむ…と。


いずれにせよ、個人的にはやっぱり古典の雅趣よりも

歴史の変転の方に目が向いてしまうなあと、読みながら思っておりましたですよ。