江戸東京たてもの園 を訪ねて、これまで見てきました田園調布の家前川國男邸小出邸

そして住居を兼ねた常盤台写真場 は、いずれもいわゆる個人住宅でありましたですが、

お次のも個人住宅であることには間違いないとしても、いささか規模が異なるのでして。

三井 財閥総領家の居宅、三井八郎右衛門低はなかなかに豪壮なものでありましたよ。


三井八郎右衛門邸@江戸東京たてもの園


豪壮との印象を持っても、移築される前の邸宅はこれを遥かに上回る・・・とは

もはや想像するしかありませんですけれどね。



と、とりあえず中へ入ってまいりますが、いやはや、

そこここの造りがいちいち贅沢といいましょうか。

「邸内の各部屋には明治期の円山四条派の画家が描いた襖絵などがはめ込まれる」てな

ことでもありますし。





隅々までちゃあんと目を持ってみれば、いろいろ発見もありましょうけれど、

そこまでの目がなくとも時折「むむっ」と思ったりするところに出くわすわけでして。



かような邸宅ですので、仏間となればちょこなんと仏壇が置いてある…なんつうものでなく、

まさしく仏壇のためのひと部屋ということになっておりますなあ。



仏壇に向かって左側の壁には

三井家の基礎を築いた三井高利夫妻の像が軸になっておりまして、

(総領家の北家は高利の長男・高平に始まるそうな)

さすがに総領家の仏間は先祖代々のためにも当然に大きくなるのでありましょう(?)。


ところで、この三井八郎右衛門邸(八郎右右衛門は代々惣領が名乗ったと)は

高平から数えて十一代目の高公が麻布笄町(今の西麻布あたりらしい)に

1952年に建てたもの。


さほど年代ものではないような気がしてしまいますが、

「日本各地にあった三井家に関連する施設より部材などを集めて建てられている」

となりますと、侮れない気配が漂いますですね。

明治期の部材もあちこちに使われているようです。


邸内からの土蔵入口

こちらが入口になる土蔵はとりわけ古く、

明治七年(1874年)という墨書のある梁が使われているそうな。



土蔵の中にさりげなくおかれた長持ちも、紋をみれば

「豊臣や徳川の御用をさぞ務めたことでもあろう…」などと思ったりするのでありますよ。


そんなふうに歴史に思い巡らしながらも邸内を廻ったりしておりますと、

どこぞかへの旅先で訪ねた資料館でもあるかのような気がしてきてしまいますが、

ここは東京都小金井市なのでありました…。