いわゆる食の絡みで語られる歴史関連の本にはなかなか面白いものがありますですね。
以前も、「魚で始まる世界史 」や「砂糖の世界史 」も、「日本の食文化史 」も
それぞれに面白かったですが、このほどは「こんにゃくの中の日本史」なる一冊を
図書館で借りてきたのでありました。


こんにゃくの中の日本史 (講談社現代新書)/講談社

これまでに読んだものに比べると通史的な意味合いは薄れて、
どちらかといえば「こんにゃくにまつわる話として、こんなのもありますよ」的な
ふうでもありますが、こんにゃくのこと自体、あまり語られるところもありませんから、
それなりに目新しいということでもありましたけれど。


まずもって、こんにゃくは古くからの食材ではあるというものの、
生産・流通の面で大きな飛躍を遂げたのは
江戸時代後期の農民、中島藤右衛門というおかげであるそうな。


こんにゃくは蒟蒻芋から作られる食品ですけれど、
そもそも蒟蒻芋は「毒芋」とも言われるくらいに芋のままで食すと痛い目に遭うとか。
本書の著者が試みたところ、口の中が猛烈にヒリヒリし始め、うがいをしたくらいでは
治まらなかった…そうですので、良い子は真似をしないように(大人もですが)。


しかも、蒟蒻芋はさほど保存に適しておらないようで、蓄えにもなりにくかったところ、
藤右衛門はこんにゃくという完成品に至る直前の状態、粉こんにゃくの製法を
編み出した人物なのだそうでありますよ。


粉の状態であれば、ある程度保存もきき、また芋そのものよりも断然運搬が楽、
それに水で溶いて石灰と混ぜ合わせ、かき混ぜてで形作ったものをゆでれば
こんにゃくの出来上がりということになるわけで、これまた簡単というわけです。


蒟蒻芋を育てること自体がやっかいらしく、あまり広まりを見せなかった植え付けも
藤右衛門の発明以来、今の茨城県大子町にあたる地元では
こんにゃく農家が増え、水戸藩の主要産品ともなっていったのだそうな。
そうしたことがあって、農民ながら中島という苗字を名乗ることが許されたのでしょう。


ということで、粉こんにゃくの製法が門外不出?だったこともあり、
ひと頃は「こんにゃくといえば茨城県」だったとか。

いわば名産品なれば儲けも大きくあったようでして、

本書で触れる日本史との絡みは桜田門外の変 に関わってくるようなのですなあ。


ご存知のように桜田門外で大老井伊直弼を襲った者の多くは水戸藩脱藩浪士ですけれど、
その中のひとり関鉄之介は大子町のこんにゃく豪農と関わりがあり、
何と事件後の逃走資金をこのこんにゃく豪農に用立ててもらっていたというのですよ。


ちなみに水戸藩を中心とした尊攘派の天狗党による争乱の中でも、
幕府の追討にあった後には大子で再結集したとかいいますから、
こんにゃく農家には尊攘派が多かったのでしょうか(水戸藩内がそうだったのかも)。


あらためて京都への進軍を目論んだ天狗党ですが、その途次、上州通過の折には
高崎藩兵と一戦交えることになる。これがいわゆる下仁田戦争と言われるものでして、
「ああ、このときにでも下仁田にこんにゃくの製法が伝わったのか」と思うと
それは全く関わりないようで。


ですが、そんなふうに思うのも今では「こんにゃくといえば群馬県」で、
それも「こんにゃくといわば下仁田」というくらいに(少なくとも関東には)知られていようかと。
今は茨城のこんにゃく作りは下火のようで、群馬は全国シェア9割とも言われるようです。


茨城から群馬へとこんにゃく王国が移った背景は(気になるようなら)本書をご覧いただくとして
群馬ではこんにゃくの増産に次ぐ増産を求められた時期があったのだとか。


太平洋戦争のさなか、陸軍登戸研究所では秘密兵器「風船爆弾 」の研究が進められましたが、
爆弾を吊るして太平洋を横断させ、米本土を空襲させるための風船の素材として、
和紙とこんにゃく糊が必須アイテムとされたのですね。


以前、このことを知ったときには
「紙とこんにゃく?そりゃあ、勝てるはずがない…」と思ったものですが、
研究成果として得た和紙とこんにゃく糊の耐久性が大したものであったことには

本書を読んで改めて。

だいたい、いまだ木製フレームだったころの飛行機作りにも

こんにゃく糊が使われていたとなれば一笑に付すわけにもいかないものであるかなとは

思ったりするところです。


ところで、本来の?食材としてのこんにゃくに改めて思いを馳せてみますと、
実に不思議なものではあるなと思いますですよね。
こんにゃくがどうしても食べたくなくことはない。
無ければ無いで誰も文句を言わない。

うまいのかと言われれば、こんにゃく自体には味が無い。
でも、こんにゃくが並んでいないスーパーはおそらく無いでしょうなあ。


そんなことと関わりがあるのか、こんにゃくには栄養も何もなく、
じゃあ何で食べるのかと言えば「胃腸のそうじ」てなことを母親は言っていたものです。


どうやら全く栄養が無いわけではなく、胃腸のそうじになるでもないようですが、
戦時中、軍隊の食事にもこんにゃくが求められたのは出征先で食物繊維不足から

便秘になる兵隊が多く、こんにゃくを食すのはもっぱら便秘解消のためであったとか。

胃腸のそうじという俗信は案外その辺りから生じたのかもしれませんですね。




てなところで、この週末は両親ともども温泉へ。

だいぶ寒くなりましたし、母親の誕生日も近いものですから。

ですので、明日はお休みを頂戴いたしますです、はい。