両親のところに熊本土産(ドイツの土産より喜ばれる)を携えて行ったついでに、
何とも暇そうにしている姿を見たものですから、「映画でも見に行くか」と誘い水。


「何かやってる?」という母親の問いに「仇討もの」と答えるや、
「いいね!」と返してきたのは父親で、いつにない乗り気ぶりにはこちらが戸惑うほど。


と、個人的事情はともあれ、東京都の老人パスで無料になる都営バスで行ける映画館に
「柘榴坂の仇討」を見に行ったのでありますよ。


映画「柘榴坂の仇討」


剣の遣い手であることが認められて、
殿様の警護要員として近習に取り立てられた彦根藩士の志村金吾(中井貴一)。
彦根藩と言えば井伊家でありまして、時は幕末、大老・井伊直弼(中村吉右衛門)の警護を
務めることとあいなりました。


安政七年三月三日、

雪の積もり始めた中を直弼の乗った駕籠の周囲を固めて濠端を進む金吾たち。
言わずと知れた桜田門外の変がここで起こるわけですね。


大老への直訴を願い出るふりをして近づいた、水戸脱藩浪士を中心とする襲撃隊。
すわ、金吾たちの大活躍…とはいかなかったことは、歴史が語ってくれるところでして、
井伊直弼は首級を挙げられ、反面その場で討ち果たした敵は一人きりという始末。


切腹することも許されず、下手人に報復せよとの命を受けた金吾ながら、
襲った者たちのうち、幕府に自首する者(自らの大義を宣言するためでしょうか)は処罰され、
その他の者もひとりまたひとりと命を落としていく中、
金吾自身が手を下すことのできないままに十三年の年月が経ち、
金吾が追うべき相手は佐橋十兵衛ただ一人ということに。


時は明治となり、文明国の仲間入りを目指す政府は

「刑罰は国が下す、私刑はまかりならん」として仇討禁止令を発布したちょうどその日。
金吾はここで会ったが百年目の相手と遭遇、互いに剣を取って雪の舞う柘榴坂で対峙するが…。


絶対的にネタばれは面白くないと思いますので、何とか触れないようにしますけれど、
とにもかくにも「こういう始末の付け方をしたか…」と、いささか感心するところでもありました。
あたかも落語のように、最初の方のあの部分がここで利いてくるとはね的な。


追う側がメインながら、追われる側の動きも差し挟み、
本人たちが気付いてないところでニアミスをしたりもする。


「逃亡者」「追跡者」に通ずるところでもありまして、
いつの間にやら思えば自分たちは似た境遇…みたいな、
ある種のストックホルム症候群みたいことになるわけですが、
決定的な違いは互いに接触するのは最後の部分だけですから、
お互いの通い合いみたいなところは実はないのに、通っちゃってる…あたり、
言葉に出さない(微妙な)コミュニケーション能力を持つ?日本情緒、かなとも。


ただ、うっかりすると明治の「俗」に対する武士の気風をして「昔はよかった」、
「侍の矜持こそ日本人」みたいな安直な印象に繋がるかもしれませんですね。
作り手の側でそれを押し売りするところまでは言っていないにしても。


考えるに、「侍だから」「武士だから」というんでなくして、肝心なのは「思いやる心」であったり、
はたまた「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」とは正反対の「生きよ!」とのメッセージを託すには
いささか形の合わない感のある仇討時代劇という枠で伝えようとするあたり、

搦め手でそのメッセージを強めようとしているのかなとも。


そう考えると、見る側の心構え(?)如何によっては読み誤る可能性もありそうな。

そこら辺の心配を杞憂とするなら、単純によく出来た話だったなということはできるかもしれませんですね。