これも連鎖反応みたいなものかなと思っとりますが、

足尾鉱毒事件 を扱った「明治の柩 」を見た会場で配られたチラシに引っかかって(?)

大逆事件を扱った「太平洋食堂 」を見に行き、そこの会場でもらったチラシにまた引っかかって

このほど「風船爆弾を作った日々」を見て来たのでありまして。

芝居も見だすと、ついついもっとと…。


ミュージカル「風船爆弾を作った日々」@座・高円寺


太平洋戦争が長引くにつれて、物資の乏しい日本では兵器製造の材料に事欠くようになり、

お寺の梵鐘やら、各学校に置かれていた二宮金次郎像やら、果ては一般家庭の鍋釜まで

鋳潰して兵器の原料にしたわけですが、それでもいっかな戦闘にはおっつかない。


そこで日本にあるものを使って兵器を作りだすことを考えた人たちがいたわけでして、

そのひとつが「風船爆弾」でありますね。


今ではユネスコの無形文化遺産とされるものもある和紙を使い、

これをなんとコンニャクのりで貼り合わせて巨大な気球を作る。

これに爆弾を吊り下げて、打ち上げれば偏西風のジェット気流に乗っかって米大陸に到達、

爆撃機と飛ばしたりすることもなく、攻撃が可能という兵器なわけです。


これの研究をした旧陸軍登戸研究所の跡地は明治大学生田校舎になっていて、

そこにある資料館に行き、また関連本もかつて読んだことがありましたですが、

至ってまじめに研究された成果であることが分かるのですね。


ですが、見て来た芝居の中の言葉ではありませんが、

アメリカが原子爆弾を作っているときに、日本では風船爆弾…物量の差はいわでもがなかと。


と、かように、うっかりすると口あんぐりとなってしまいかねない風船爆弾ですけれど、

これを作るのに駆り出された多くの女学生(男はあらかた戦地にいってたでしょうから)は

「お国のため」という合言葉の下、過酷な労働を耐えていたのですよね。


先に読んだ本の中ではもっぱら東京のようすが綴られていたように思いますが、

このほど舞台になったのは四国、愛媛県の川之江高等女学校生徒たちが

風船爆弾作りに携わった手記がベースになっているそうな。

製紙業では日本屈指のお土地柄なのだそうですよ。


ところで、本作はタイトルにミュージカルと添えられていて、

(さすがに歌って踊って…とはなりませんが)舞台上で確かにたくさんの歌がうたわれる。

当然にオリジナルの楽曲もあるのですが、印象的なのは(といっては失礼ながら)

むしろ当時声高に歌われたであろう軍歌や戦時歌謡でもあろうかと。


昨年訪ねたハンブルクの美術館で戦争とプロパガンダに関する展覧会 を見たですが、

歌というのも十二分にプロパガンダとしての役割を発揮するものだなと改めて思ったですね。


どんどん雰囲気が作られて行く中で、女生徒たちも

「それが今の自分たちにできる最善のこと」として風船爆弾作りに邁進したものと思われます。


当日の観客席には旧川之江高女の生徒として風船爆弾作りに関わったという方が

数人おられたことが、舞台がはねたところで紹介されましたですが、

この方々の思いやいかに…と思わずにはおれませんね。


戦争を語り継ぐ必要性みたいなことがよく言われますけれど、

うっかりすると「違うんじゃね」という方向に利用される気配がなきにしもあらず。

受け止める側の心性もまた肝心だなと思ったのでありました。