ちと高尾に出向く機会がありましたので、そこに「ある」ということは知ってはいたものの

一度も立ち寄ったことの無い場所を訪ねてみることに。


武蔵陵墓地入口


敷地全体としては「武蔵陵墓地」というようでして、

中には「多摩陵」(大正天皇の墓所)、「多摩東陵」(貞明皇后の墓所)、

「武蔵野陵」(昭和天皇の墓所)、「武蔵野東陵」(香淳皇后の墓所)が置かれている場所です。


武蔵陵墓地案内図


まずはいちばん奥まったところにあります多摩陵から順々に手前へと

ひとつひとつ訪ねてみたのでありますよ。


武蔵陵墓地表参道


鬱蒼と茂る木立の間をしばらく進んで行くものですから、

ここは墓所なのだと思っていても、例えば鹿島神宮 であるとかの神宮の森を

ついつい思い浮かべてしまうところでもあります。


とまれ、そうした参道をしばし進んで行きますとやおら開けた場所に到達、

まず目に留まるのは大きな鳥居なのでありました。

その奥には大正天皇が眠っておられる。ここが多摩陵(たまのみささぎ)ということで。


多摩陵

次いでこちらが多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)、

やはりお后は隣に寄り添うように眠っておられるのですなあ。


多摩東陵

とは思ったものの、それこそ古い古墳では石室の中に

何人かの石棺が収められていたりもしたように思いますので、

もそっと寄り添わせてあげてもよいのではとも思ったり。


武蔵野陵

昭和天皇の武蔵野陵(むさしののみささぎ)も、

香淳皇后の武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)も同様ですなあ。


武蔵野東陵

もしかして夫婦仲が…?などと考えるのは余計な話でして、

そんなこともよりもすでにしてお気づきのことと思いますけれど、

ここにある4つの陵墓はすべて上円下方墳という形になっておりますなあ。


どうしたって、しばらく前に見た武蔵府中熊野神社古墳 を思い出してしまうなのですが、

石を組み上げた造りが往時を再現したかの古墳よりこちらの方が何やら厳かであるような。

現役(墓所)の強みということでもありましょうか。


ところで、この武蔵陵墓地は訪ねてくる人も少ないのか、実に静かな場所ですな。

まあ、いまだ歴史として語るには生々しさの残る近い時代の方々でもありますから、

墓所とはいえどう接したものやらてな感覚にもなろうところかと。


同じときに来ていた数少ない人たちの中には、

それぞれの陵墓に高らかに柏手を打ち、深々と礼をしていかれる方もいて、

神道の葬儀では玉串奉奠(たまぐしほうてん)の後、二拍手するも音を立てないようですが、

やはり神社参拝的な接し方をされる方もあるのだなと。

明治神宮のような場所とは違うような気がするのですが…。


とまれ、大正天皇のことはあまり知るところがありませんので想像できないものの、

昭和天皇にしてみれば春の新緑、秋の紅葉、木々の姿が美しく静かなこの場所に

四季の移ろいを愛でに人々がやってきて心を落ち着かせ、また心を豊かにして帰っていく、

そんな人々の姿を見ていることをうれしく思われておられるのではないですかねえ。

何も尊崇の念を表すとか、遺徳を偲ぶとかいうことではなく。


鳥居はあっても神社であるとは思っていない者にとっては

こんなふうなことを考えたりもしたのでありましたよ。


ちなみにタイトルに「最も新しい古墳であるか?」と書いてしまいましたですが、

古墳 とはそも「古代の墳墓」だということですので、

20世紀に造られたものを古墳とは言えませんでしたねえ…。