もったいぶって白衣大観音のある観音山ではないもう一つの…などと言ってましたが、
脆くもタイトルでバレバレになってしまってますなあ。


まずもって出かけたのは観音山古墳でありました。
そもそも群馬県立近代美術館に行こうを考えていたわけですが、
Googleマップで美術館の場所を確認したときに「お!こんなんあるじゃん」と気付いた次第。


美術館への交通手段は高崎からバスということながら、高崎駅のひとつ手前の
倉賀野駅からレンタサイクル(無料のが3台だけある)で行こうとしてましたので、
自転車なら古墳にも立ち寄れそうだと思ったのでありますよ。


倉賀野駅から観音山古墳への道筋


左下の倉賀野駅を出発して、右上の観音山古墳へ。
その後に右下の群馬県立近代美術館へ向かうというコースで走り出したわけですが、
前回、群馬八幡駅から観音塚古墳 までGoogleマップを頼りに移動した際、
途中の曲がり角に目標になるものが無く難儀したのに似て
今回も周囲の情報に乏しくいささかの不安がよぎったり。


とまれ、何とかたどり着いた観音山古墳は、雲ひとつない秋晴れの下でかなりの存在感を

示していたのでありました(それにしても余りアップダウンの無い道で助かった・・・)。


国指定史跡 観音山古墳


「群馬県の古墳時代後期(6世紀終わり頃)の代表的前方後円墳」ということですけれど、
全長97mは先に訪ねた観音塚古墳の105mにも及ばないではないか…と。

ですが、観音塚が花見山のように木がにょきにょきの状態であるのに比べて、

こちらの観音山古墳は見事に復元されて、周囲にも障害物なしという点で優っているというか。


観音山古墳の全体像


上から眺め下ろせたならばこうした全体像が拝めるわけでして、

まるで絵に描いたような前方後円墳なのですなあ。

そのかちっとした感じは墳丘に登ってみても、分かるのでありますよ。


墳丘上の後円部から見た前方部
墳丘上の前方部から見た後円部


上は後円部から前方部を、下は前方部から後円部を見たところですが、

前方部も後円部もどちらも四角形、円形であることが視認できますよね。


と、大きさや形も関心事ではありますけれど、この古墳からは多くの埴輪が出土して、
特に真ん中に見える「三人童女」埴輪は全国的にも他に例が無いものであるとか。


観音山古墳から出土した埴輪


同時に出土した埴輪が祭祀を司る者(三人童女の左側と右側)であるところから、
「三人童女」は祭祀の従者を務める者と考えられているようです。


後円部に穿たれた石室も結構大きな規模のようなのですが、
どうやら団体さんが中で説明を受け、立てこんでいるようす。


石室は立てこんでおり…


本来は石室入口は閉ざされていて、
教育委員会だかに予約しないと内部は見学できないはずでしたので、
まあちょろっと覗けたことでよしとしますか。


ここは盗掘を免れていたらしく副葬品もまた多々見つかったそうですが、
「奈良県の藤ノ木古墳や朝鮮半島の武寧王陵出土のものと類似するもの」が出たことは
当時の東国にあっては新しい文化を取り入れていたとのこと。

てなことを考え合わせますと、東国で大きな勢威を揮った豪族がこの古墳、
つまりは墓所に葬られているということになるのでしょう。


それにしても、山梨の「甲斐風土記の丘 」を訪ねたときにも思ったことながら、
やはり高い権勢を誇ったような人は見晴らしのいい、眺めのいいところに
墓を求めるものなのかいな…と思ったものでありました。

視界が360度開けた観音山古墳からは上毛三山も一望ですし。



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