さてぐるりを見て回った二之丸
を後にして、一之門を潜ればいよいよ本丸。
松江城天守はもう目と鼻の先でありますよ。
「祈祷札」の再発見によって築造年代が1611年以前と判明した松江城。
天守が現存する城は12と言いましたですが、その中で古さとしては5番目だそうで。
まあ今から400年以上前に建てられたわけですから十分な歴史を持っているわけですが、
城の比較としては高さが3位、広さが2位となれば規模の立派さが目立つ気もしますですね。
というところで城の中へと入ってみますと、
まずは何をおいてもでしょうか、例の「祈祷札」(レプリカ)と説明パネルがありました。
大般若経600部を転読するので、武運長久よろしく!てな意味のことが書かれているそうです。
お城には必ずある「石落とし」などをそこここに見ながら最上階を目指して登っていきますが、
大抵「頭上注意」などと書かれてあるのを見たそばから頭をぶつけたり。よくやるんですよねえ(笑)。
と、最上階からの見晴らしはといいますれば、まずは宍道湖方法はこのような具合です。
先に訪ねた島根県立美術館
はその場にいると建物の全貌が分かりにくかったですが、
遠目で見るとこんな形だったのですなあ。なんともユニークです。
今度は東の方向です。遠くにうっすら大山が見えておりますなあ。
望遠バージョンも付けておきましょう。
ここまで登ってきた道筋を振り返るにはこちら。
右上に屋根の見えている建物が興雲閣でありますよ。
ひとしきり眺望を楽しんで下り降り、
振り返りみる松江城は一層どっしり感に溢れた印象のような。
ちなみに小泉八雲
は「知られぬ日本の面影」の中に
松江城をこのように描き出しているそうでありますよ。
封建時代の兜のように、屋根の両端からその彎曲した体を空にピンとはねた、二匹の巨大な青銅の魚(鯱)が棟飾りをしているし、(中略)傾斜した瓦屋根が判じ絵のように見え、それらがむやみやたらに突出ているので、この創造物は大きな怪物を集めて造った、まさに建築術の妙をきわめた一大怪龍だ。
城という建造物自体が八雲には異なものに見えたことでしょうけれど、
分けても鯱鉾には目をとめておるような。
実は鯱鉾の大きさは松江城のものが日本一なのだとか。
ここでまた「まつえ若武者隊」からの受け売り話になりますが、
左右一対の鯱鉾にはオスメスがあるのだそうで、松江城で見れば左がオスで右がメス。
左の方がなんとなく鱗が荒いように見えますよね、それがオスの証しだそうで。
ついでに受け売り蘊蓄をもうひとつ。建物のてっぺんに鯱鉾が飾られる理由でありますよ。
「鯱」も「麒麟」と同じく、同名で現存する動物がいますけれど、
飽くまでも想像上の動物のことでして、「水を噴いて雨を呼ぶ霊獣」と言われているのが
「鯱」だそうです。要するに火除けのまじないの類だったのですなあ、「鯱鉾」は。










