この間のTV朝日「題名のない音楽会 」は

(毎回題名がつくわけですが)「カバーポップスの音楽会」として

昔懐かしい曲を取り上げておりましたなあ。


といっても、「1950年代末期から1960年代前半にかけて

日本のミュージックシーンを大いに盛り上げ」たと説明されたカバーポップス。

個人的にはもそっと上の世代の方々にはリアルタイムの青春だったりするかもですね。

それでもとにかく流行った歌だけに、「ラストダンスは私に」、「ダイアナ」、「可愛いベイビー」、

「ヴァケイション」、「レモンのキッス」、「情熱の花」と、取り上げられた6曲は

いずれも聞き覚えがありますけれど。


ですが、日本では中尾ミエの歌として知られる「可愛いベイビー」、

弘田三枝子(当時14歳であったとか)の歌で知られる「ヴァケイション」は

どちらもコニー・フランシスの曲とは知っていても、

カバーバージョンが日本で流行っていることを知ったコニー・フランシス(レコード会社?)が

コニー自身の歌唱による日本語版レコードを製作していたとは知りませなんだ。


また、ベートーヴェンの「エリーゼのために」を原曲にした

カテリーナ・ヴァレンテの「Passion flower」に日本語詞を当ててカバーした

ザ・ピーナッツの「情熱の花」の大売れがヨーロッパにも伝わったか、

なんとザ・ピーナッツはカテリーナ・ヴァレンテのショーに呼ばれたばかりか、

ドイツ語でのレコードまでを出したりしているそうな。これも知らなかった…。


とまあ、かように興味深い紹介のある「題名のない音楽会」だったわけですが、

その前日に放送されていたEテレ「らららクラシック 」では「フォスター名曲集」を取り上げ、

これらを併せて見て考えてみますと、何やら日本の洋楽受容史といったことに

思いを馳せてしまうような。


カバーポップスと呼ばれるところで言いますれば

50年代後半から60年代前半の流行したものとなるのでしょうけれど、

元来西洋風の音楽の無かった日本が、明治維新であれこれの洋物が流入する中、

音楽も当然にして入ってきたわけで、最初はこれ全て西洋音楽のカバーであったろうと。


フォスターの歌曲などはまさにうってつけの曲であって、

私事になりますが昭和初めの生まれである母親が「オールド・ブラック・ジョー」を、

もちろん日本語詞ながら知っている(当然に英語は全くできない)ことが象徴的でもあるような。


そして、そして「らららクラシック」の中で、

フォスターの歌曲がなぜ親しまれるのかという点を考えるヒントとして

「讃美歌」という言葉を挙げていたのもまた「そうだよなあ」ではありますね。


フォスターの歌曲は讃美歌のようだ。

つまりはシンプルで美しく、覚えやすいてな要素がある。

だからこそ誰にでも覚えてもらえる讃美歌のようであるというわけです。


以前、東京オペラシティアートギャラリー横浜開港資料館 で展示を見た

日本の西洋音楽受容の黎明期を思い出しても、明治の教育に宣教師が関わったことから

讃美歌もまた入ってきてとは思うところながら、讃美歌の覚えやすいという特徴がまた

音楽教育にうってつけであったということもありましょう。


讃美歌を通じてでも、広く普及を図るとなれば日本語詞を当てることになりましょうね。

同様のことは讃美歌ばかりでなく、欧米各国の民謡を借りてきて日本語詞を当てることにもなる。

そんな中では、本来その曲の詞に込められたものとは全く違う意味合いでもって

日本では大いに流布するなんてことにもなるわけですな。例えば「蛍の光」のように。


こんなふうに遡ってみれば、日本の西洋音楽受容は

常にカバーバージョンとともにあった…とまあ、目新しい気付きでもなんでもことなんですが、

そんなことを反芻することになった「題名のない音楽会」と「らららクラシック」でありました。



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