妙に涼しくなった一日、「芸術の秋」の先取りではありませんが、

久しぶりにオーケストラの演奏会を聴いてきたのですね。

読響の定期演奏会 ですけれど、7月1日以来なので久しぶり感ありというわけでして。


読売日本交響楽団第200回土曜マチネーシリーズ@東京芸術劇場

スッペの「詩人と農夫」序曲、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、

そしてベートーヴェン の「田園」というプログラムは

パストラル風味の間に機械文明が挟まったなんとも個性的なサンドイッチを食するかのよう。


ですが、このサンドイッチ、37歳の指揮者コルネリウス・マイスターが振り、

26歳のピアニスト ダニール・トリフォノフがソロを弾くという鮮度抜群のひと品のようで。


ですので、メインプロのベートーヴェンには申し訳のないところながら、ここでの注目はどうしてもプロコフィエフのコンチェルトということになるのでしょうなあ。


とはいえ、クラシック音楽を聴くとは言っても業界の最新情報なんつうあたりに

いささかのアンテナも張っていない者からすると、トリフォノフというピアニストが

単に若いだけでなく「風雲児」などと呼ばれたりもする存在だとは知りませなんだ。


なんでも2010年のショパン・コンクール第3位、

翌年のルービンシュタイン・コンクールとチャイコフスキー・コンクールの両方で第1位、

そしてルックスも良し(今回の登場ではすっかりひげ面になってましたが)とあっては

ほうっておかれようはずがないということでありましょうか。


で、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番ですけれど、初演後の新聞評に

「鍵盤のほこりを払っているのか、もしくは鋭くドライなタッチでめちゃめちゃに叩いているのか、どちらかだった」てなふうに書かれたことと今回の公演プログラムに紹介されてましたが、

「鋭くドライ」とか「叩いている」とかは言い得て妙であろうかとも。


1913年、初演当時の聴衆にはぶっとびものであったかもしれませんけれど、

今となっては「それでこそプロコフィエフ」てなものでもありましょうかね。


以前、やはり読響との共演でデニス・マツーエフが弾いた3番のコンチェルトや

リヒテルによる「戦争ソナタ」のLPレコードなどを聴いたくらいではあるものの、

プロコフィエフらしさはかかるものであるか…と思ったものです。


されど、今回はその激しさよりは清新さの方が感じられたのは

若い人たちによる演奏だという思い込みですかねえ。

それと同時に「おや?」と思いましたのは楽器でありますね。


ピアノのサイドに「FAZIOLI」と書かれている。

ピアノに詳しくない者としては演奏会で使われるのはほとんどスタインウェイ・アンド・サンズで、

他にベーゼンドルファーやべヒシュタイン、そしてヤマハあたりを知ってはいるものの、

ファツィオーリとはどのような?と。何しろピアノは詳しくないものですから。


これまた調べてみますれば、1981年創業といわば新興のピアノ製造業者。

ではありながら、あれこれのコンクール出場者がファツィオーリのピアノを選び、

今回登場のダニール・トリフォノフもそのひとりだそうで。

東京芸術劇場のステージにファツィオーリがのったのもリクエストなのでしょうなあ。


ヴァイオリンといえばストラディヴァリ 」というようなことがある一方で、

ピアノの場合には「ピアノと畳は新しいほうがいい」とまでは言えないものの、

発展途上の楽器ということになるのかもしれないですね。


で、そのファツィオーリから出てくる音のほどは、

さきほど言った「清新さ」と関わるような気がしたものでありますよ。

ともすると尖ってとげとげしくもなってしまうプロコフィエフの音楽で、

聴き手を切りつけてくるようなエッジを程良く殺いであったといいましょうか。


もっともそれはひとえにトリフォノフの弾き方によるのかもですが、

個人的なピアノ体験値では判断のしようもないところでありまして…。


と、このほどはピアノのことばかりになってしまったですが、

指揮者コルネリウス・マイスターのことに触れる機会はおそらくまだまだありましょう。

今年2017年の4月に読響の首席客演指揮者に就任したということですから。


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