美術工芸などの世界は伝統が受け継がれることの大事さがありますけれど、

いつのまにやらその技術が失われてしまって、今となってはいったいどうやって造ったものか?てな

作品があったりしますですねえ。


科学の進歩でカバーできる場合もあるものの、どうにもオリジナル技法が再現できない。

こうした謎は解明したくなる一方で、謎のままというのもいいのではという考え方もあって

どちらがいいとはなかなかに決めにくいものではなかろうかと。


で、出来上がった代物としては美術工芸品的でもありながら、

その用途がはっきり決まっているが故に美術工芸というよりは

音楽の世界の話となるのがヴァイオリンという楽器でもありしょうか。

単に見た目、仕上げの美しさという部分でなしに、奏でられた際の音色が重要になるのですから。


毎度のように遅れてNHK「クラシック音楽館」の「バイオリンの500年」を見たですが、

そこではストラディヴァリの音色に迫る楽器作りのようすも取り上げられておりました。


ちょいと前に読んだようにヴァイオリンがスペインのユダヤ人起源 であるのかどうかは飛ばして、

約500年前にイタリアはクレモナに始まるヴァイオリン作りが、その後に生み出された数々の名曲とともに

紹介されておりまして、そのヴァイオリン製作者の中でもことさら話題にされるのがストラディヴァリですなあ。


名の知れた演奏家ともなると(個人所有か貸与を受けているかは別として)

ストラディヴァリを使っていないと沽券に関わるてなふうでもあるわけですが、

響きが豊かで艶やかなど言われるその理由をはっきり示せないとすると、

すでにしてこれはプラシーボ効果 なのではとも思ったりするところです。


が、実際に科学の進歩はストラディヴァリが最近作られたヴァイオリンとどう違う響きなのかを

数値やグラフなどで示すことができるようになっているので、「なるほど!」ではあります。


しかしながら、そうしたストラディヴァリならではの響きが確かにあることとして、

なぜストラディヴァリがそういう音を出せるのか。


これは製作技法の点になりますから、十何代目を襲名したストラディヴァリがおるでなし、

技法は失われ、再現するにはストラディヴァリ自身が試行錯誤してたどり着いたようにするしかない。

しかも、その試行錯誤の中身も分からんとなれば、もはや雲をつかむ話のようでもありますなあ。


そんなところへ日本でヴァイオリン修理を手がけてきた経験から、その試行錯誤に迫っている方が登場。

科学にというよりは経験に基づいて、こうするのが良いをいう方向に修理してきた技法を活かして

一からのヴァイオリン製作に取り組んだところ、ストラディヴァリが示すデータに極めて近い音を出す

ヴァイオリンが出来上がったというのでありますよ。いやあ、大したものですなあ。


そうなると、その技法を活かしてストラディヴァリの音色に近いヴァイオリンを量産できることになり、

ストラディヴァリの有難味は薄れる…かといえば、そうではないのでしょうなあ。


むしろ500年も前に、その後の人たちは見つけられなかった手法を見つけていたことの凄さとともに

改めて本物への指向は高まることになるのかもしれません。


いい例えではありませんけれど、レオナルド・ダ・ヴィンチ の描き方がそっくりそのまま再現できたとして

ダ・ヴィンチの先進性が減ずるわけではないのと同じこと。

ようやっと追いついたかということなのでしょう。


ただ追いついたとなれば、もしかして追い越すこともできるのかも。

やがては思いがけずも、ヴァイオリン作りといえば日本てなことになったりするかもしれませんなあ。



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