フライブルクの大聖堂広場 をひと回りし、大聖堂の尖塔に登って辺りを眺めたりして、
改めてフライブルク大聖堂の正面に廻ってみました。やはり堂内を見ませんとねえ。


Freiburger Münster


と、なかなか中に入らず恐縮ですが、このフライブルク大聖堂、
先に大聖堂広場を「Münsterplatz」と言いましたように、Freiburger Münsterという名称なのですな。


先に訪ねたシュパイヤー大聖堂 (Dom zu Speyer)や

昨年出かけたヴォルムス大聖堂 (Wormser Dom)、マインツ大聖堂 (Mainzer Dom)のように

「Dom」ではなくって「Münster」という。


日本語訳ではあっちもこっちも「大聖堂」としてしまいますが、
言葉が違う以上意味合いも異なると考えるのが自然なわけでして、
フライブルクのように「ミュンスター」と言われるばかりには
修道院ゆかりであると考えればいいのかもですね、ざっくり言えばですが。


フライブルク大聖堂の変遷


こうした、建物が拡張されていく推移の図示は大きな教会の中にまま見られるものですけれど、
左上の一番小さな姿は1140年頃、こんな形の修道院からスタートしたということかも知れません。


そうそう余談ですが、ドイツでも北の方にミュンスターという名の町がありまして、
ここの大聖堂はミュンスターでなくてドムというようで…。
ま、それはともかく堂内へ進みましょう。


フライブルク大聖堂の堂内


ロマネスクの鄙な感じを見てきたあがりには、

ゴシックもかなりな装飾性が感じられるといいますかね。
くっきりとした尖頭アーチに内陣上部のヴォールトも多分にデザイン的で。
もちろんバロック のような装飾性とは違いますけれど。


フライブルク大聖堂の主祭壇


さらに進んで主祭壇の後ろ側、後陣部分にある区切られた小礼拝所には
これまた唸る祭壇の数々。例えばということでは、このような。




そして、この後陣部分の一番奥にあたる二区画が「Kaiserkapelle」(皇帝の礼拝所)と呼ばれて、
ここでまた「双頭の鷲」の姿を目にすることになったのでありますよ。


ステンドグラスのマキシミリアン1世


ステンドグラスのカール5世


上の左側は容貌的に(たぶんですが)マキシミリアン1世であろうと。
下の左側は(判別できないと思いますが)「1528」という数字が見えることから、
1528年当時在位していたカール5世ではなかろうかと思うところです。


その頃のカール5世はフランスと敵対し、
プロテスタントの勢いを必至に食い止めようとしていた頃かと思いますが、
ステンドグラスで見る限り、ちょっとしたファニーフェイスで描かれておりますよ。


と、堂内のステンドグラスですが、これがまた見ものとして有名なようであるらしい。
皇帝の姿とは別にここに出したのはほんの一端ですが、見事なものでありましたなあ。




そんなふうにいろいろ見て回るうちに時間はどんどん過ぎて行くわけですが、
フライブルクではどうしてももう一つだけ押さえておかねばならないところがあり、
そそくさと移動に掛かるも、行った先では「時間が足りない…」感に苛まれてしまうような。
とにもかくにもアウグスティナー博物館へと向かったのでありました。


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