マインツ中央駅から乗車したバスはどうやら方向違い
であったようす。
こういう場合、慌てふためいて最寄りで降りたところがさらに墓穴を掘ることにならんとも限らず、
いささかの逡巡の最中にあったその時、聞こえてきたのは
「ウニヴェルジテート…」云々というアナウンス。
「お、次は大学前か?!」(ドイツ語で大学はUniversität)と。
大学の前の停留所なら誰かしら降りる人もいようと思うとあにはからんや。
降車する学生?に紛れて(紛れる必要も全くありませんが)下車すると、まさに目の前は大学。
こうして立ち寄る予定も無いのに、マインツ大学、正式名称ヨハネス・グーテンベルク大学に
たどり着いてしまったのでありました。
1477年創立という由緒ある大学となれば、せっかくですからちょいとばかりお邪魔をいたし、
名前の由来であるグーテンベルク
の胸像にはご挨拶を。
かなり広そうなキャンパスでふらりとしてみようかと思いましたですが、
うかうかしていると本来行こうと考えておった施設も閉館してしまうと、駅へ戻るバス停は探すことに。
降りたバス停のところからきょろきょろと、
通りの向こう側に逆方向行きのバス停を探すも、それらしきものは見当たらず…。
これまたどうしたものか…と思っているところへ、一台のバスが到着。
ふとこれの行き先を見れば、何と「Mainz Hauptbahnhof」(マインツ中央駅)!
中央駅から乗ってきたバスを降りた停留所で、
今目の前に中央駅行きのバスが停まったことに少々戸惑いを感じたものの、
「ええい、ままよ!」溺れる者は藁にも縋る思いで(とは大袈裟ながら)乗り込むことに。
どんなにか迂回するような経路を辿ろうとも取り敢えず中央駅までは連れて行ってくれるでしょうから。
幸いにして(当然往路とは全く異なる道を通ってですが)さほどの時間を要すことなく中央駅に帰着。
まだ間に合うだろうと当初の目的地へと向かい直したわけですけれど、
ここでもまたささいなトラブルがあったものの、それは端折って話は先へ。
とにもかくにも下車を予定したバス停にも到着したのでありますよ。
この立派なオベリスク(実はこれも周囲は噴水のようですが)を背にして、
歩行者天国の道を進むことしばし。
このようにガラス張りの新しいビルに突き当たるのですね。
「レーマー・パサージュ(Römerpassage)」というショッピング・アーケードです。
ですが、18時まで開いている場所として慌ててやってきたのは買物のためではないのでして、
上の写真をよおく見ると目的地が分かりますので、ちと拡大を。
「Isis und Mater Magna」、そして「1. bis 3. Jh. n. Chr.」の文字がご覧いただけましょうか。
後ろの方から話を進めますと「n. Chr.」は「キリスト
誕生後」のこと、よく知られた表記では「AD」、
そして「Jh.」は「Jahrhundert」=「世紀」(年を100個)のことですので、「紀元1~3世紀」とあるわけです。
先にも触れましたように古代ローマ
にとってライン川
は版図を画する前線に当たるものですから、
古くからいくつかの拠点が築かれたわけですが、マインツもそのひとつ。
紀元前からある拠点モゴンティアクムが始まりいうことなのですね。
ですから、掘れば必ずローマ時代の遺構が…となるかは分かりませんが、
少なくともこの解説板の後ろにあるガラス張りのショッピング施設が作られる際には
「こんなん、出ました!」となったのでありましょう。
出てきたのはエジプトの神イシスとオリエントの神マーテル・マグナとを祀る施設であったようで、
ドイツ政観HPでは「イシス&マーテル・マグナ聖殿」と紹介されていますですね。
紀元1~3世紀はなるほどイエス生誕後ではありますけれど、ローマのキリスト教化はまだ先ですので、
昔ながらに諸方の神々に祈りを捧げていたということになりましょうか。
アーケード入口のすぐ右手にある「ISIS Apotheke」(イシス薬局)の店内に入り、
お店の人には会釈だけしてやおら下り階段を降りていきますと、
たちどころにしてもうそこは「古代ローマ世界」となるのでありますよ。
こちらは祭祀に使われたと思しき、炉のあとであるようす。
何やら骨らしきものも見えますですね。
思いのほか規模は大きめで(入場無料のわりに?)で、
周囲のショーケースには発掘された遺物の数々が展示されていたりもして、
なかなかの見ものだったですね。
おそらくはこの遺構が発掘されたことによってそれを覆うショッピング施設が
「レーマー・パサージュ」(レーマーは「ローマの」)と名付けられたのではと思いますけれど、
2000年の発掘以降まだ認知度が低いのか、Googleマップなんかで場所を探す際には
差し当たり「ISIS Apotheke」で検索するのが良さそうです。


