先に訪ねた印刷博物館 が思った以上に面白かったことでもあり、
これまた近所の図書館で目に付いた一冊を借りてきたのですけれど、
どうやら子供向けの偉人伝の類いであったようですね。
偕成社版「世界を変えた人々」シリーズの一冊「グーテンベルク」であります。


グーテンベルク―印刷術を発明、多くの人々に知識の世界を開き、歴史の流れを変えたドイツの技術者 .../偕成社


世界史上でも相当なネームバリューを誇る一人であるように思いますが、
どうもその生涯はほとんど分かっていないのだとか。


辛うじて記録として辿り、グーテンベルクの生涯を再構築するのに役立つのは
何とまあ訴訟記録の数々…となれば、何だかジャンヌ・ダルク を思い出すといいますか。


もっともジャンヌ・ダルクは宗教裁判ですが、グーテンベルクは多分に世俗的。
金の貸し借り(もちろんグーテンベルクは返せない方)絡みや婚約不履行なんかもあったそうな。


だからといって、グーテンベルクに浪費癖があったとかいうわけでもなく、
基本的には印刷術の確立に向けた研究費用が膨大に必要だったということのようです。


しかしながら、印刷そのものは

グーテンベルク以前にも(中国や日本ほど古くからではないせよ)あったわけですから、
ではグーテンベルクは何を研究し、どういう成果を挙げたのか。

これはグーテンベルクの印刷術が活版印刷と言われるように、活字を使った印刷なわけですね。


で、グーテンベルクの工夫は、耐久性がある活字の金属の研究、きれいに印字されるインクの研究、
そしてむらなく刷り上るプレス方法の研究と、こうした研究で大きな改善を遂げ、
実用に耐えうる印刷術が確立されたということになるようです。


何とグーテンベルクの印刷術は、

1468年に亡くなって(死亡年月日は伝わっているらしい)以来300年余りも
ほとんどそのままの形で印刷物を生み出し続けたのだそうでありますよ。


実用に耐えるという点では、コスト面でもということになりますが、
活字をたくさん作るだけでも大変だろうと思うところながら、
グーテンベルク以前は要するに写本ですから、一冊の本を作るのに膨大な時間が掛かりますし、
ともすると転記ミスなんつうことも考えられたことからすれば、

十分写本制作に対抗し得るものだったのでしょう。


また、全くないではなかった印刷も

ページ丸ごとを木版におこすという作業がこれまた大変で、
やはり活版とは比べものにならなかったわけですね。


ところで、グーテンベルクの技術革新は

大量の書物の流通を生み出して、歴史を変えたとも言われますけれど、
元々のところは写本や木版よりも効率的に複製を生み出すための発想が根っこだったはず。


そのグーテンベルクの技術がその後、何百年もそのままに利用されたというのは

完成度の高さ故かとも思うところながら、(その側面がないではないでしょうけれど)

実は印刷の技術がそれ以上に向上することを嫌う向きがあったという。
印刷に関わって生業を立てている人たちなのでありますよ。


かつて写本作りに携わった人たちは文字を扱うということからも学識の豊かさがあり、
それだけに大変な作業には相応の見返りがあったと思われますが、活版印刷の普及によって
写本制作は(よほどの貴重書ならたぶん別でしょう)作られなくなる、

つまり写本で食っていた人たちの職が奪われることになりました。


活版印刷の時代になって、

今度は植字やプレスといった部分部分を手掛ける熟練工がそれなりの収入を得るようになるも、

さらに印刷術のどこかしらに画期的な工夫がなされると、おまんまの食い上げになりかねん…と、
印刷に関わる人たちはギルドを作って守りに入ったといいます。


誰もがグーテンベルクのような発明・発見をできるわけではありませんから、
我が身の生活をまず考えるというのは当然といえば当然ですけれど、
やはり頭ひとつ抜きん出ている人というのは考え方が違うのですかね。


まさにグーテンベルクその人は、
印刷術という世紀の発明を成し遂げてウハウハの人生を送ったかといえば、正反対でして、
研究段階でも金返せ訴訟に追いまくられる状態であった上に、

「できたぁ!」と思った印刷機やらなにやらは共同出資者との訴訟に破れて全部持っていかれ、

弟子たちも(何も持たないグーテンベルクに付いても食えませんから)
その共同出資者と一緒になって印刷工房を運営していく方に廻ってしまった。

そんな踏んだり蹴ったりの人生がグーテンベルクの生涯だったようです。


が、それにしても謎だらけというか、分からないことだらけというか、

そうなってしまった理由としては似たような研究をしている人たちがどこかには必ずいて、

自分の研究成果を内緒にしておく必要があったこと、そして(これはどこまで関係するかは別ですが)

どうやら免罪符の大量発行を可能にしたのも印刷のおかげ…となると、

教会の大なる収益元は(どこで誰が作っているのか)秘密にしたかったでしょうし、
逆に免罪符を批判して宗教改革の機運が出てくれば、それこそ隠れてもいたかったでしょうし。


そんなことから考えると、よくまあヨハネス・グーテンベルクという名前が残ったものだと
思ったりしてしまいますですなあ。