田山花袋記念文学館
のあたりはかつて館林城の本丸だったところでありまして、
文学館に隣接して博物館や資料館が集中しているものですから、
「ここは館林のミュージアムクォーターでもあるかな」と思ったのでして。
ただそう思って勝手に言っているだけで、
館林市ではウィーンのミュージアムクォーターは言うに及ばず、
リューベック
の聖アネン・ミュージアムクォーター
とも張り合うつもりはないことは言わでもがな。
ではありますが、田山花袋記念文学館の他には向井千秋記念子ども科学館、
館林市第二資料館、幕末に最後の館林藩主であった秋元家の旧別宅、館林城遺構、
そして城沼に続く公園となかなかにあれこれ揃っとるようにも思われます。
一番人気はといえば、当然に?子ども科学館でありまして、
エリアに近付いただけで子どもたちの歓声が聞こえてき、「なんだ、なんだ?」と思っていると、
団体で科学館に入場していったという。
「子ども科学館」とはいえ、いろいろと工夫を凝らした展示もあろうかと
後に寄ろうかとも思ったですが、おそらくは入場前の喧騒が館内に持ち込まれたことを考えると、
鉾先を変えて第二資料館に向かうことに。
それにしても「第二資料館」とは何とも味気ないネーミングでありますが、
一筋縄ではくくり難い資料・史料を展示するための苦肉の策といえましょうか。
ちなみに、当然のように別のところに「第一資料館」があり、そちらには後で立ち寄りましたが、
ざっくり言って「第一」が屋内展示、「第二」が屋外展示と分けられるのではないかと。
で、その「第二資料館」でありますが、敷地内でのメインはひとつに田山花袋旧居、
もうひとつは旧上毛モスリン事務所の洋風建築、それに加えて館林城石垣とかが点々々と。
ということで、まずは田山花袋の旧居を覗いてみることに。
解説によりますと、明治維新前に建てられた武家の住まいであって、
花袋は明治11年(1878年)から約8年間(花袋がだいたい7歳から14歳まで)を
家族と共に過ごした家だということなのですね。
玄関を入ってすぐ右手の四畳間(たぶん東南角に当たる)が花袋の勉強部屋だったのだとか。
田山家は館林藩の下級武士の家で、維新後は(廃藩置県の絡みもあり)相当に窮迫したそうですが、
14歳でこの家を離れたのは、館林では食い詰めてしまうので父親が東京に出て巡査となり、
一家を呼び寄せたからのようでありますよ。
そうした経緯があるわりには、決して狭くはないような気がしますが…。
と、組み合わせとしては妙ちきりんな印象ながら、
茅葺屋根の侍屋敷の隣には洋風を取り入れた明治の建築物が建てられているという。
「旧上毛モスリン事務所」と呼ばれる建物であります。
ファッション関係に疎い者としては「モスリンとは何ぞ?」と思うところですが、
これまた解説には「細い短糸を使った平織りの布のこと」で、
「日本では、羊毛生地のウールモスリンを指します」とありました。
北関東には織物業の盛んなところが多い
ですけれど、館林でも然りであったのでしょう。
上毛モスリン株式会社は明治35年(1902年)に設立され、工場を大きく構える中、
事務所に使われたのが上の建物というわけなのですね。
ところで、モスリンの説明に関して「日本では羊毛生地の…」とありましたけれど、
ヨーロッパでは薄手の綿織物を指すそうで、このあたり、Wikipediaによりますと
どうやら毛織物のメリンスと混同されたのではとのこと。
道理で田山花袋の「田舎教師」の中にも着るものとして、メリンス、メリンスと出てきたわけです。
ちなみにこちらの建物は中に入ることができしまして、外観の擬洋風に違わず、
内装もそれらしいのを意識していたようで、2階を支える柱もケヤキ柱ながら、
エンタシスになっているという。
茅葺の木造家屋に擬洋風建築、これにもひとつくらい何かあったら
建物博物館とも言えようかと思ったところ、そうそう文学館の裏手に旧秋元別邸があったなと。
館林藩最後の藩主であった秋元家ゆかりの建物だそうですが、
さすがに茅葺ではないものの純和風の造りかと思ったところ、裏に回ってびっくり。
奥に見える母屋は紛れも無い和風ながら、
これに連なって(独立しているわけでない)手前に見える白塗り部分は
どう考えても洋風を意識しているとしか言いようが無い。
和洋折衷とも違うし…不思議な、というか妙な建物ではなかろうかと…。
とまあ、こんな具合に館林城本丸跡のエリアは
いろいろと楽しめるミュージアムクォーターになっていたのでありました。