城沼のほぼ東の端にある善導寺 から、また自転車でえっさほいさと沼の西端まで戻ってました。
ここにもひとつお目当ての場所がありまして、田山花袋記念文学館であります。

小説家・田山花袋は館林で生まれ、少年期までをここで過ごした後、一家で東京で出たそうな。


田山花袋記念文学館@館林


とはいえ「田山花袋って誰よ?」とまではおそらく行かないものの、
「田山花袋って、あの『蒲団』の?」てな具合でありましょうし、
その世に知られた作品「蒲団」ですら、果たしてどれほど読まれておりましょうや…。


日本近代文学史の中にあって、自然主義の嚆矢たる作品として紹介されていて、
内弟子であった女性に恋情を寄せ、彼女が去った後にその想いさめやらず、
彼女が使っていた蒲団の匂いを嗅ぐという主人公の姿を赤裸々に描いた…

と説明されてしまうと敢えて読むまでもないか…となってしまうのかもですねえ。


自然主義の作家といえばフランスのモーパッサンやゾラが有名で、
明治になって海外からありとあらゆる事物が入り込んでくる点では
芸術作品や文学作品もまた然りですけれど、確かに田山花袋や島崎藤村 あたりが
それまでの日本文学とは違う新境地を開こうと自然主義を模索したわけですけれど、
どうも日本の自然主義は独自路線を歩むことになったような。


明治39年(1906年)に出た島崎藤村の「破戒」の後を追うように、
田山花袋は翌年に「蒲団」を世に問うわけですけれど、
方向性はどうも私小説に向かって行く道をつけてしまったようなしないでもない。


文学館の展示には、「蒲団」のモデルとなった女性に宛てた手紙の文面がありまして、
「まことに申し訳ない。御詫びしますから何とか堪忍してください」と。
また、回顧録的作品である「東京の三十年」にはこんな記載もあったりするようで。

「これがでたら…、もしこれを彼女が読んだら」
こういう思が私の心を暗くした。恥しい、きまりがわるいような気がして原稿は出来ても、まだ「新小説」へ渡さずに置いた。

日本の新しい文学を開くとの気概に満ちた人であったようながら、いやはやなんとも…。
題材を探していて、飛びついた結果、こうした後悔の念に駆られたようでありますな。


今ではショッキングな内容とまでは言えませんけれど、

明治の世でありますから、文学の新境地といったことと関わり無く、

三面記事的な盛り上がりを見せたのかもしれませんですね。


ですから、花袋としては文学史に相も変わらずに

田山花袋=「蒲団」の作者とされていると知れば、嘆くことしきりかもしれません。


てなことを言いながらも、その実「蒲団」しか読んだことがなかったものですから、
これも何とか名前が知られているであろう「田舎教師」を館林往復の道すがらの
友としたのでありますよ。


田舎教師 (新潮文庫)/田山 花袋


舞台は館林ではなくして埼玉県の羽生市でありますが、
こう言ってはなんですが、文字通りの「田舎」の小学校教師が主人公であります。


主人公にはモデルがあり、そのモデルになっている人の日記に目を通す機会があって
小説化を思い立ったようなんですが、多分に花袋自身にも重なるところは
あるのではないですかね。


熊谷の学校を卒業した主人公の清三。
同期の連中は東京の高校(旧制)に進んだり、師範学校や士官学校を目指したりと
それぞれに青雲の志を抱く若者たちなわけですが、
その中で清三は貧しきが故に職に就かざるを得ない状況。


かつて仲良き旧友たちとの近況を語り合う際には、
普段は心の奥にしまっていても、自分ひとりが置いていかれている意識が高まってしまうのですね。

かれは将来の希望にのみ生きている快活な友達と、これ等の人達(現状に安閑としているやに見える人達)との間に横たわっている大きな溝を考えて見た。

まごまごしていれば、自分もこうなって了うんだ!」


で、結局のところどうなっていくのかといえば、
若い身空で病いに倒れ、敢え無く清三は帰らぬ人となってしまう…
身も蓋もないとも言える物語ではあるわけです。


ですが、先ほどの独白がらみの箇所でもそうですが、「蒲団」とはまた違った赤裸々感がありますね。
時も場所も異なりながら、清三にも似た本音をひた隠して生きている人たちは確実におりましょう。

身も蓋も無く、特別なところが無いだけに感情移入もしやすかろうという気もします。


展示の中に、盟友であった島崎藤村が挙げた花袋の代表作には
この「田舎教師」が入ってました(「蒲団」は入ってない)けれど、
「蒲団」のような瞬間的な恋情よりも、「田舎教師」での人生の方が
あれこれ考えることに繋がる作品だからでもありましょうか。


ただ、新潮文庫版の解説は「これほど褒めない解説があろうか」というもの。
決して貶しているわけではないんですが、花袋をして「せいぜい傍観者的紀行文作家」というは
やっぱり褒め言葉ではありませんですね。


確かに田山花袋を「文豪」とは言えないところやもしれませんし、
作風は「傍観者的」であり、「紀行文」に長けた作家であったとは言えるにしても、
少なくとも「田舎教師」を読んであれこれ思うところは、読み手それぞれにあるだろう点で
昨今、たくさんに書き飛ばされる本よりも優っているところはあるような気がします。


花袋が紀行文作家と言われるのは、その描写でありますけれど、
「田舎教師」の最後の最後、語り納めの文章を引いてみるとしましょう。

秋の末になると、いつも赤城おろしが吹渡って、寺の裏の森は潮のように鳴った。その森の傍を足利まで連絡した東武鉄道の汽車が朝に夕に凄じい響を立てて通った。

主人公の清三はとうに亡くなり、月日は空しく過ぎていく。
そんな中で、相も変わらず自然の営みは季節の移り変わりを告げていきますし、
また明治にあって文明開化もまた待ったなしで進められていくのですね。


もはや何もすることも叶わぬ清三の置き去られ感だけが、
余韻として強く強く幕切れではないかと思うところです。


生涯を通じての花袋の著作は小説が約450編、紀行文が約200編、評論が約600編あるとのこと。
そのほとんどが忘れられているとなると、清三のことが他人事ではないような気にもなりますが、
館林でこの文学館を訪ねようというところから「田舎教師」を読む機会に繋がったことは
幸運なことであったような気がしておりますよ。