いろいろありますなー、

いろいろ降ってきます。

これでもか!ってwww


診察の結果、良性と判断され、経過観察に。(よかった)

 

それと同時並行的に、、、仕事もトラブルを抱え。

 

こっちはこっちで青ざめる話。www

 

 

まぁ、昨年の状況にも似たような状態になってる。

 

結果同じことを繰り返してると。。も、

 

 

ただ、精神状態は、以前より断然マシ。

 

精神崩壊寸前ではあったが、その時、

 

やはり人との出会いがあり、

 

また、ネットでも素晴らしい人に出会えた。

 

心の在り方、この世の閉塞的な思考の枠組みの理解、それを超えるヒントを教えてくださる。

 

そこから、希望が見えてきた。

 

冷静となれる自分がいる。

(正確には冷静であるとおもっている自分)

ただ、おろおろして空回りしているよりはマシでw

 

とはいえ、雁字搦めのがちがちに鍛えられた思考回路はすぐには解けず、また、現状生活するなかで、これでもかと思考回路を強化しようとする事象が発生する。

 

解凍と強化の狭間で右往左往している状況。

 

ただ、強化のやり口はいろいろ見えてきた。

 

それを客観視すること。

また、いま発生している事象が強化策の一環であることを気づくこと。

はわかり始めてきた。

まだまだ、いろんな手口で強化しようとする事象が発生するかもしれない。

それでも、その学習と体験が、そのうち生きてくると思う。

(それを経験したいがために引き寄せたといわれるかも)

 

 

まだまだ出口まで到達しているという気持ち(閉塞思考回路からの脱却)にはなれないが、

 

 

笑って過ごすぞ!

 

 

肉体をもった者は、やはり肉体も鍛える必要があると

(肉体と精神・スピリットの連結の訓練です)

 

 

先日、元お客様と会食。

久しぶりの再会となり、仕事の話や家庭の話と話題が尽きず、楽しい会食となりました。まだお二人とも子育て真っ最中。

お仕事ぶりも変わらずというところなので、メチャクチャ多忙なのに、子供の世話にも奥さんに代わり対応しているようで、凄く頑張ってらっしゃる。

私は、自分の子供たちはほぼ手が離れている訳で、ニコニコしながら、半分懐かしく思って聞いておりました。

 

どんなに多忙でも、、時間を工夫して、、家庭をもスムースに回せるように動いていらっしゃる。

(すごい!)

 

A氏、 子供を寝かしつける役目。。

 

(自分)「だいたい、子供を寝かしつけると、一緒に寝ちゃって、時間が狂うんですけどねw」

 

(A氏)「いや、晩御飯は、子供を寝かしつけた後に食べることにしてるんです。たべて一緒に寝ると確実に寝てしまうんで、時間が狂ってしまいます」

 

(B氏)「おお、確かに。それは言えます」

 

(A氏)「寝かしつけて、ゆっくり晩御飯を食べるんです。そうすると時間のコントロールができます」

 

(自分)「そんな手があったとは!いっつも寝ないよう、寝ないようにしてましたw」

 

B氏、 家庭の食事係の担っている。。。朝ごはん、お弁当、、時に夕食。

 

(自分)「よく身が持ちますね。。」

 

(B氏)「いや、家内がつくるより早いし、うまくできるんですよーw」

 

(自分)「えー、、」

 

(B氏)「まぁ、食事の段取り考えるもの楽しいですし。」

 

(自分)「ありえなーいw、奥さん、何してるんですか?」

 

(B氏)「なにかしてます。実際、彼女は片付けきらいなんですよ。。」

    「最近は、子供の勉強を観てます」

 

(自分)「え、家庭教師してるんですか?」

 

(B氏)「はい、もともとそういうバイトしてましたし、思い出しながら、、お金もかからないし。。 子供との会話も多くなったし、よかったと思ってます。」

 

(自分)「うちは、塾に放り込んでおしまいw だって、私が教えても、逆切れされそうだしwww まぁ、さしあたりまともな大学にいったしいいかな?ってw」

 

皆さん、仕事も多忙なのに、家庭内でもいろいろ「はたらいて」いらっしゃる。

 

時間の使い方や能力の使い方にいろいろ勉強になりました。

 

ただ、3人の共通点は、、

 

奥様がみな、片付けが嫌いwwww

 

ということに気づきましたw

 

Image by PayPal.me/FelixMittermeier from Pixabay

 

(おまけ)

 

普段、限界を自分で引いているのかも、、、

 

工夫次第で、可能性は広がるとも。言える。

 

 

時間に追われている気がしている自分。。

 

工夫の余地はまだありそう。。

そして忙しいと思っている錯覚かもね。

 

といいつつ、次、朝、目が覚めたとき、どうするかの実験をしようかと思っている。。

 

眼が覚めたときの時刻は一定ではない。

でも、一定の時刻で目を覚ますべきとか、それに合わせて朝の段取りをしようとする自分がいる。

逆に一定の時刻に合わせようとしてストレスを感じている自分もいる。

 

いっそのこと、目が覚めたら、その時刻から朝スタートさせてみるというのもやってみようかと思ってます。

(早いと2度寝確定ですけどwww)

 

さて、どうなることか、、

 

楽しみーーーーー

 

 

 

 

 

自分が勝手につくっているサイトですけど、平和への祈りをするためのプラットフォームとしてサイトをつくっています。

 

 

 

 

先ほど世界平和への祈りをして、祈りのボタンをクリックしましたら、

世界や各国への祈りの総数が

 

12345

 

世界平和への祈りの総数が

 

600

となりました。

 

 

 

いやぁ、あまり知られていないサイトで、ほとんど私の祈った数ですねwww

 

この数字も狙ったわけでもなかったんですけど、いい数字になったんで、スクショ!

 

合掌(モジュール的には「拍手」)になりますけどw)をクリックするとカウンタが1つ上がる仕組みになっています。

 

オープンさせて半年ぐらい、、、

まぁまぁ、祈っていますねwww(自己満w)

 

最近は、ロシア、ウクライナ、パレスチナ、イスラエルを中心に祈っていますんで、そちらの数は増えていますけど。。

 

たまに、

 

祈りのワールドツアー

 

で、世界を構成している国と地域をすべて祈れるようにしています。

これするとカウンタが一機に上がりますねw

 

全部コンプリートすると結構スッキリします!w

 

 

クリックすると

ABC順に国(地域)が並んでいますので、各国(地域)を祈っていただければ、「合掌」ボタンをクリックしていただければ、祈りのカウンタが加算されます。

 

(矢印先が「合掌」ボタン)

 

どこまで祈りがとどくかわかりませんが、祈りが多ければ、その分、平和の維持、平和の回復が進むと信じております。

 

まぁ、ユーザ登録しなくても、カウンタは加算されますので。。。

 

ユーザ登録していただければ、個人で祈った数を確認できるようになります。

 

氣が向いたら、サイトへどうぞ。

 

 

 

 

 

 

月曜日出張に行く寸前、妻が病院から戻ってきた。

 

新幹線の時間が迫っていたんで、一言二言いって出ていった。

 

その一言二言が気に入らなかったようだ。

 

気にしているにせよ、そう大したことないと思い、軽くいなしたような形となった。

 

深刻な状況ではあるが、

どこかで彼女は大丈夫だとおもっている自分もあり、

深刻に対して深刻に返してしまっては、深刻の増産になってしまうではないか、と思い、普段通りに接したつもり。

 

その後、氣になっているんで、

ラインで普段通りに子供の状況について聞いてみるが、無応答。

 

翌日出張から帰って、妻に会うと、見るからに機嫌が悪い。

 

地雷を踏んだことを改めて認識。

 

夜、食事が終わって、二人きりになると、、爆発。

 

まぁ、その会話の内容は差し控える。

 

彼女は、他の家族に自分の想いを吐き出すことはしない。

 

おそらく、吐き出すのは私だけであろう。。

 

じっと、私は聞くだけである。

 

地雷を踏んだのではない。

 

私がどう反応しようと、怒り・悩み・不安・重い想いをぶつけるしかないのだろう。

 

そして、ゆっくり、一言から始める。

 

また、時間をおいて、二言。

 

すこしずつ、今後のことについて一つ、二つと話だし、

 

ひとつずつ、解消していく。。

 

まだ、見えないところもあるが、、

 

 

落ち着きを取り戻してきた。

 

いまは、普通通りに会話ができる。

 

たった1日、2日だが、彼女にとって長い日だったに違いない。

 

まぁ、まだ病院通いは続く。

 

詳細が分かってくれば、どのような対処するわかってくるだろう。

 

その時はその時、その時、考えよう。

(さしあたり、ググってどのような処置があるのかは調べたけどw)

 

でも、彼女は大丈夫!と思う。。

 

いままで、そうやって生きてきた彼女である。

ずっと、私はそばで見ている。わかる。

 

 

 

 

 

と思うが、妻はどう思っているんだろう?

所詮、私にはわからない。ここに書いているのも私の解釈である。

 

 

そして、私の問題は、私の中で消化するしかないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょいとクラシックコンサートへ

というより定期演奏会なので、、w

 

 

ドイツにファシズムが労働者を抑圧している時代。

その時勢にあわせて労働者の苦悩、抑圧、絶望感をオーケストラと合唱で演奏。

 

音楽はドイツらしく重厚で楽器とコーラスの多層のハーモニー、、

素晴らしい演奏でした。

 

ただ、素直に喜べない自分がいたのも事実。

 

詩の内容が重い。

 

あの当時、コンサート会場で聴いている聴衆はどの階級なのか?

 

とても、その当時の労働者がコンサートに行っていたとは考えにくい。

 

となると、この曲を聴いていたのは搾取側でしょう。

(詩の内容での対比としてですが)

 

これを聴いて拍手喝采だったのかわかりませんが、喜んで聴いていたとなると、

 

労働者の怨嗟や首謀者を鉛の棺に入れるたこと、、

首謀者は真実を知っているよ。

労働者に立ち上がれといっているけど。。

 

労働者をコントロールできてよかったよかった

 

と喜んでいる。と感じてしまいます。

(かなり神経がいっちゃってる気もしたりw)

 

むしろ、労働者の怨嗟をこの楽曲にてレクイエムとして捧げて、鎮魂歌として祭り上げたといえるかもしれません。

 

過酷な労働環境の中、働くため、働かせるためには、音楽は重要な要素になっていたんでしょう。

 

レミゼラブルの「民衆の歌」もね。

 

でも、どうなんでしょうね。

 

厳しい状況で気を紛らわせるためだけのものでしょうか?音楽は。

 

多くの楽曲は、恋愛の感情を歌い上げたり、社会風刺をしたり、社会規範を破ってしまったことの罪悪感や苦しさ、を美しい音の調べの中で、共感を得ることで成り立っているかと思います。

中には、頑張ろうぜ的な楽曲もありますが。。

 

こんなこと書くと、、音楽楽しくなくなる?www

ですよね。

 

でも、

 

音楽の力は、それだけではない!と信じます。

 

音の響きには不思議な力があると思います。

 

ソプラニストの岡本知高さんがおっしゃっていたことがあります。

 

あるステージで歌っているとき、もう一人の自分が会場の上から自分の謳っている姿が見えたと。

(流体離脱じゃん?w)

 

突き詰めていけば、重い想いの中にでも歌や響きのなかから、大きな光明を掴むことができるのではないでしょうか?

 

 

最近久しぶりにカラオケでめちゃくちゃ歌いました。

みんなと盛り上がり、スッキリしましたね。。

ううー、まだ、ストレス解消の域から脱していませんwww

 
最後まで読んでいただきありがとうございました。
パレスチナとイスラエルの紛争、終わってほしいですね。