ちょいとクラシックコンサートへ
というより定期演奏会なので、、w
ドイツにファシズムが労働者を抑圧している時代。
その時勢にあわせて労働者の苦悩、抑圧、絶望感をオーケストラと合唱で演奏。
音楽はドイツらしく重厚で楽器とコーラスの多層のハーモニー、、
素晴らしい演奏でした。
ただ、素直に喜べない自分がいたのも事実。
詩の内容が重い。
あの当時、コンサート会場で聴いている聴衆はどの階級なのか?
とても、その当時の労働者がコンサートに行っていたとは考えにくい。
となると、この曲を聴いていたのは搾取側でしょう。
(詩の内容での対比としてですが)
これを聴いて拍手喝采だったのかわかりませんが、喜んで聴いていたとなると、
労働者の怨嗟や首謀者を鉛の棺に入れるたこと、、
首謀者は真実を知っているよ。
労働者に立ち上がれといっているけど。。
労働者をコントロールできてよかったよかった
と喜んでいる。と感じてしまいます。
(かなり神経がいっちゃってる気もしたりw)
むしろ、労働者の怨嗟をこの楽曲にてレクイエムとして捧げて、鎮魂歌として祭り上げたといえるかもしれません。
過酷な労働環境の中、働くため、働かせるためには、音楽は重要な要素になっていたんでしょう。
レミゼラブルの「民衆の歌」もね。
でも、どうなんでしょうね。
厳しい状況で気を紛らわせるためだけのものでしょうか?音楽は。
多くの楽曲は、恋愛の感情を歌い上げたり、社会風刺をしたり、社会規範を破ってしまったことの罪悪感や苦しさ、を美しい音の調べの中で、共感を得ることで成り立っているかと思います。
中には、頑張ろうぜ的な楽曲もありますが。。
こんなこと書くと、、音楽楽しくなくなる?www
ですよね。
でも、
音楽の力は、それだけではない!と信じます。
音の響きには不思議な力があると思います。
ソプラニストの岡本知高さんがおっしゃっていたことがあります。
あるステージで歌っているとき、もう一人の自分が会場の上から自分の謳っている姿が見えたと。
(流体離脱じゃん?w)
突き詰めていけば、重い想いの中にでも歌や響きのなかから、大きな光明を掴むことができるのではないでしょうか?
最近久しぶりにカラオケでめちゃくちゃ歌いました。
みんなと盛り上がり、スッキリしましたね。。
ううー、まだ、ストレス解消の域から脱していませんwww