7月20日にモンテレイに到着し、メキシコでの新生活が始まりました。最初の2週間はホテルに泊まり、8月4日からアパートに住み始めました。ホテル代やその間の食費等はすべて大学持ちでした。こんないい思いしていいのかと思いながら過ごしていました。アパートも大学から歩いて3分ぐらいのところを借りることができ、非常に快適です。

来たばかりのメキシコは天国のようでした。なにしろご飯がおいしい! ホテルの朝食のビュッフェに毎日通ってました。スペイン語も話せないのに、レストランの店員さんとちょっと仲良くなりました(amigoとか言ってました)。

大学のオフィスももらいました。北テキサス大学では窓もないところで5人共用とかいう監獄みたいな部屋でしたが、モンテレイ工科からは無事窓付きのオフィスを頂きました。まだ届いてませんが、僕専用のノートパソコンももらえるみたいです。モンテレイの秋学期はもう8月7日から始まっているのですが、来たばかりなので8月終わりまで授業がないように大学が調整してくれています。致せり尽くせりです。




モンテレイ工科の人たちもすごく良くしてくれています。僕がアパートのデポジット代をちょっと銀行まで払わなきゃいけなくなったときはとある教授が車に乗っけてくれましたし、最近モンテレイに就職した人たちで一緒に夕食食べた後、一人の教授の家で飲み会もしました。他にも週ごとの昼食会を企画してくれたり、Rayadosってサッカー・チームに試合見に行こうとか話しています。

というわけで、「ここが私のアナザースカイ…?」と思いながら最初の数週間を過ごしてきたわけですが、新しい国に住んだら当然良いことばかりのはずもなく、少し気になる点も出始めてきました。

まず、モンテレイの物価はそんなに安くないです。というか、日本と比べて若干高いんじゃないかとすら感じてきています。例えば、最近大学の周りに韓国料理屋さんを見つけてよく行ってるのですが、冷麺一つで210ペソ(約1800円)します。米ドルにすると12ドルなので、アメリカの生活に慣れてるとまぁこんなものかなという感じですが、円安の影響もあって日本円で考えると安くもないなという感じです。



また、行政はいろいろグダグダなところもあります。先週Resident Cardを発行してもらうために大学から車で片道30分ぐらいのところにあるImmigration Officeに行かなければならなかったのですが、書類を全部提出した後に、「今finger printのシステムが落ちてるから、また後日来て」と言われて、結局カードをもらえたのはその1週間後でした。Uberに乗ってて気づいたことですが、大学の周りはすごい栄えてますが、Immigration OfficeのあるGuadalupeは道路かなりガタガタで、古い建物も多かったです。メキシコは結構いびつな発展の仕方をしてるんじゃないかなと思ったりもしました。

大学関連でいうと、火曜に教授会があったので出席してきたのですが、途中まで僕に気を遣って英語で話してくれていたものの、途中から議論がややヒートアップするとすべてのやり取りがスペイン語になり、全くついていけなくなりました笑 それまでスペイン語を話せなくても意外と生活に困ってなかったのですが、「スペイン語話せないといつまで経っても外様のままっぽいな」と感じ、本格的にスペイン語を勉強することにしました(初めて使いましたが、Duolingoは本当にすごいですね)。語学の勉強はモチベーションがあればそんなに苦でもないのですが、研究する時間をだいぶ持っていかれそうではあります。

早くもメキシコとのハネムーン・ピリオドは終わった感じですが(笑)、総合的に言うとモンテレイ工科大学およびメキシコへの印象はだいぶポジティブなままです。日本国外で博士号を取って日本の大学に就職する人は少なくないですし、それが素直な道だと思いますが、(政治学専攻の)日本人でメキシコの大学に就職したパイオニア(笑)として、「こういう道もあるよ」ということをこのブログを通じてお伝えできたらいいなと思っています。

というわけで今回は以上になります。¡Hasta luego!
いつの間にか前回の更新から約2か月も経っていましたが、この間いろいろありました。現在はモンテレイ工科大学で働く準備を着々と進めています。

まず、博士論文を正式に提出し、ガウンのレンタルで129ドルも取られイライラしつつも(笑)、5月16日に卒業式に出てきました。アメリカでの卒業式は初めての経験でしたが、壇上にいたのは15秒ぐらいで、あとは他の修士・博士の修了生を待つだけだったので、特に面白くもなんともないイベントでした。待機中にHooderとして来てくれた指導教授と研究の話をしてる時間が一番楽しかったです。

ついで、6月28日にダラスのメキシコ領事館での面接があり、無事労働ビサが下りました。ビザを取るのに日本帰らなきゃいけないかなと思っていたのですが、テキサスで全部手続きを済ませられることがわかってよかったです。とはいえ面接は4時間にもおよび、途中提出した写真が「これじゃダメ」とのことで近くのCVSまで炎天下の中歩いてパスポート用の写真を撮りに行ったりと、なかなか大変でした。面接自体は待ち時間が長く、面接官からは「何しにメキシコ行くの?」とか「趣味は何?」といった基本的な質問をされたぐらいで、わりとさくっと終わりました。面接後は(これから散々食べることになるだろうに)領事館の隣にあるメキシコ料理レストランで昼食を食べて帰りました。非常にうまかったです。



これであとは現地に引っ越しするだけになりました。今のところ7月20日を予定しており、モンテレイについたら2週間はホテルに滞在し、その間に家を探す手はずになっております。渡航費・ホテル滞在費は全部大学が負担してくれるので、すごくありがたいです。

秋学期に教える授業ももう判明しており、かなり時間無くなりそうだなと思っているので、今から授業準備をしつつ、自身の研究を爆裂に進めております。実は今年に入ってから今までになくジャーナルに論文を投稿していて、

- 1月27日に博論の第一章をジャーナルに投稿→6月19日にリジェクトの連絡。
- 2月22日に共著のペーパーAを投稿→5月3日にリジェクトの連絡。
- 5月16日に博論の第三章を投稿→6月30日にR&Rの連絡。
- 5月23日に共著のペーパーAを別のジャーナルに投稿、現在結果待ち。
- 6月3日に共著のペーパーBを投稿→6月7日にデスク・リジェクトの連絡。ちなみにデスク・リジェクトはこれが初の経験。
- 7月6日に共著のペーパーBを別のジャーナルに投稿、現在結果待ち。

といった感じです。先週もらったR&Rは嬉しかったですね。国際関係論の人なら皆読むようなジャーナルですし、かつ単著だったので。とはいえ、二人の査読者のうち一人は非常に好意的だったのですが、もう一人の査読者の要求に応えるのは容易ではなさそうなので、緊張感を持って修正に臨んでいるところです。あと、単純に投稿数が増えたこと自体に研究能力が上がったなと実感しています。ペーパーBも今月中には修正を終えて別のジャーナルに投稿できそうではあります。今手元にある原稿を論文化している一方で、新しいプロジェクトもちょこちょこ進めており、そのうち一つは研究助成ももらえました(僕はPIではなく共同研究者ですが)。この先数年戦える持ち球は確保できたかなという感触はあります。

とはいえ研究&研究の生活ができるのも今のうちで、モンテレイに旅立ったら別の戦いが始まりそうです。というわけで、乞うご期待。
というわけで、この度メキシコのモンテレイ工科大学(Tec de Monterrey)からオファーがあり、今週契約合意に至りました。就労ビザが認可され次第、Assistant Professorとして働くことになります。まさか新天地がメキシコになるとは想像もしてませんでしたが、待遇も非常に良かったので、研究者人生第2章も楽しくなりそうです。

「モンテレイ工科大学ってどこ?」っていう方がほとんどだと思いますし、実際僕もインタビューに呼ばれるまで全く知りませんでしたが、中南米・南米では一番の私立大学らしいです。キャンパス訪問の時に僕には珍しく少し写真も撮ってきたのですが、モンテレイのキャンパス内には自然があふれており、鹿やクジャクもいました(笑)。また、メキシコならではのモニュメントもたくさんあって新鮮でした。「工科大学」と言っていますが、どうやらマサチューセッツ工科大学をオマージュしているようです。理系の学部が強く、学内にはモンテレイのテクノロジーを紹介しているところがたくさんあり、これらの技術を国際関係の研究に応用するのも面白そうだなと思ったりしました。



とはいえ就活は非常に辛かったです。「あぁ、このままどこからも必要とされず終わっていくのかな……」と何度も弱気になりました。拾ってくれたモンテレイ工科大学に非常に感謝しています。

以下、ざっくりとした就活の経緯です。

----------------------------------------
22年8月-: アメリカを中心に応募し始める。
22年11月26日: モンテレイ工科大学に応募する。
23年1月: どこからもインタビューに呼ばれず、連絡が来てもrejectばっかりで、精神的に病む。
23年1月17日: モンテレイ工科大学からZoomインタビューの招待がある。初めてのインタビューで浮かれる。
23年1月23日: モンテレイ工科大学とのインタビュー。手ごたえなしで終わる。
23年2月6日: トルコの大学からZoomインタビューの招待がある。モンテレイで手ごたえなしだったので、万全の準備をして臨む。
23年2月16日: トルコの大学とのインタビュー。二回目ということもあり、比較的ズムーズに受け答えできた(気がする)。
23年3月4日: トルコの大学から現地開催のジョブ・トークに招待される。初めてのキャンパス訪問で浮かれる。
23年3月6日: モンテレイにいる知人から、first roundのオファーは別の候補者に行ったとの情報をもらう。トルコで失敗できなくなり、追いつめられる。
23年3月7日: モンテレイ工科大学からZoomでのジョブ・トークに招待される。どうやらfirst roundのオファーを断った人がいたらしい。2つの大学からジョブ・トークに呼ばれたことで少し精神的に安定する
23年3月14日: 北テキサス大学で一回目のPractice Job Talkをする。モンテレイを想定してZoomで実施。
23年3月15-19日: 学会参加のためにカナダに行く。現地でトルコの大学の教授陣と対面のインタビューがある。
23年3月21日: モンテレイ工科大学でのジョブ・トークの実施。非常に楽しく研究のお話ができて満足する。
23年3月22日: モンテレイ工科大学からキャンパス訪問に呼ばれる。非常に速い展開でびっくりする
23年3月27日: 北テキサス大学で二回目のPractice Job Talkをする。トルコを想定して対面で実施。
23年3月31日-4月4日: トルコの大学のキャンパス訪問およびジョブ・トークの実施。飛行機の遅延で午前2時に到着したりいろいろトラブルがあったりしたものの、教授陣や学生との交流を楽しむ。アメリカのご飯にうんざりしていたので、トルコでいいご飯が食べれて満足する。
23年4月14-16日: モンテレイ工科大学のキャンパス訪問を実施。学部生向けのレクチャー(1時間半-2時間)を1日に3回もさせられるという殺人的なスケジュールで疲弊するも、モンテレイの街並みや自然あふれるキャンパスを気に入る。また、学生の質が非常に高いなと感じる。
23年4月18日: モンテレイ工科大学から正式なオファーを準備しているという連絡をもらう。就活が終わりそうでほっとする。
23年4月19日: トルコの大学に連絡したところ、オファーは他の候補者に行ったとの回答が来る。トルコまで行って落とされることあるんだとちょっと驚いたが、これでメキシコに行く覚悟が決まる。
23年4月25日: インドの大学からジョブ・トークに呼ばれる。モンテレイの正式オファー待ちだったので辞退する。
23年5月4日: モンテレイから正式なオファーの提示がある
23年5月10日: モンテレイのオファーをアクセプトする。
----------------------------------------

以下、アカデミアでの就活を経験しての感想です。

1. リジェクトが普通

僕のExcel Spreadsheetによると、去年の秋から73校に応募して、Zoomのインタビューに呼ばれたのが3校、ジョブ・トークまで行ったのも3校(インドはZoomインタビュー飛ばしていきなりジョブ・トークのお誘いだった)、正式なオファーがあったのが1校(1校リジェクト、1校辞退)という最終戦績でした。北テキサス大学の博士で、出版した論文も少ないにしてはわりと頑張った方、ラッキーな方だと思います。しかも全部ポスドクではなくAssistant Professorポジションでしたし。

それでも70校からリジェクトされているのが現実です。なので、なかなか難しいことですが、うまくいかないのが普通だと思って、どういう結果になろうとも淡々と応募し続ける方が、精神的に楽だと思います。アメリカやアメリカのやり方をマネしているところは基本的に応募する書類は変わらないので、たくさん応募してもそこまで手間ではないです。

2. 自分でコントロールできないことが採否に大きく影響する

研究・教育業績を積む、夏の間に書類を仕上げる、インタビューの練習をするなど、ジョブマでの成功確率を上げるために能動的にできることもいろいろありますが、自分ではどうしようもないことで採否が決まることも多々あります。例えば、トルコの大学については当初結構楽観的で、というのも①ジョブアドにMultiple Positions募集と書いてあった、②キャンパス訪問には自分を含め二人しか呼んでいないとのことで、「じゃあもらったようなもんじゃん!」と思っていました。で、蓋を開けてみると①university administrationから一人分のオファーしか出すなと指示された、②東アジア国際関係を専門に研究し、授業できる人が最優先だったという理由でリジェクトされました。前者についてはトルコの経済状況がかなり不安定なことが影響したようです。後者についても、もう一人の候補者がAsian IRを専門にしている人なので、かたや僕は東アジアに特化した研究プロジェクトや論文が多いわけではないので、オファーがもう一人の候補者に行くのも納得ではあります。

このように、誰を採用されるかどうかはフィットや大学側のニーズに大きく左右されるので、自分ではコントロールしがたいところで概ね採否が決まります。なので、リジェクトされても「自分はダメだ」と思わず、「フィットが合わなかっただけで、いずれ自分と合ったところが拾ってくれるはず!」と思っておいた方が気は楽です。

3. アメリカPh.D.持ちはアメリカ外にも需要がある

僕が最終面接に呼ばれたのはメキシコ、トルコ、インドの大学からです。つまりアメリカの大学からはどこからもお呼びがかからなかったということになります。なかなか厳しい現実ですが、ある程度仕方ないことでもあります。というのもアメリカの大学では、①アジアやglobal southなど、地域に特化したポジションが多い、②今流行りのテーマ(technology、cyber security、IPE、human rights、gender)についての募集が多く、伝統的な安全保障をテーマとするポジションは少ない、③伝統的なトピックでも僕の主たる関心である観衆費用は懐疑的な人も多く、あまり人気がない、④トップ・スクールには同じようなテーマで実験を使うも多いため、僕が応募するようなポジションのオファーは彼らのところに行く、といった諸々の事情があるからです。

かたやアメリカ外で、これからのし上がっていこうという国の大学は、優れた研究成果さえ出してくれそうならテーマはわりとなんでもいいという雰囲気があります。そういった大学は教育負担も少なく、研究補助やインゼンティブも結構つけてくれ、給料も現地の水準をかなり高いところが多いです。なので、ずっとその国・その大学に留まるかどうかは別問題として、ゴリゴリ研究をして業績を出したいという人にとっては、最初のポジションとして悪くないのではと思います。


というわけで、紆余曲折ありましたが、「研究者としてご飯を食べていく」という目標はなんとか達成できそうで安堵しています。次のチャレンジが待ち遠しいです。
前回もお伝えした通りこのブログは細々と続けていくつもりですので、また次回!
4月24日に博士論文の口頭試問があり、無事に合格しました。博論の最終提出はこれから(5月12日)で、かつ夏もTAとして働くので正式な学位の授与は夏になるのですが、博士号取得の要件はほぼ満たしたということで、博士に「なった」という表現をしています。

博論の口頭試問がどんな感じだったかですが、僕の場合はまず博論の原稿を口頭試問の約1か月前に送りました(メールを見たら3月30日に送ってました)。僕の博論は全部で約130ページとそんなに長くもなく、また各章は出来上がり次第教授陣に送っていたので、1か月あれば十分に読む時間あるという想定でした。

口頭試問はZoomで行われました。本当はin-personでやって最後に写真でも撮りたかったところですが、committee memberの先生の一人が日本だったのでしょうがないですね。24日の午後6時半から午後9時まであったのですが、その日はTAの授業が二個も重なっており(午前9時半-11時、午後2時-5時)、口頭試問のころには結構ヘロヘロになってました。終わったら泥のように眠りました(笑)

口頭試問のフォーマットは最初20分博論の概要についてのプレゼンをし、その後は5人いるcommittee member一人ひとりとQ&Aというものでした。何人かの先生はあらかじめメールでコメントを送ってきたりしてくれたので回答も容易だったのですが、当然全く想定もしていない質問やコメントも飛んできて、それらにはかなり苦しめられました。ただ、全体としては博論そのものや将来的な研究プロジェクトについて楽しくお話できてよかったなという感想です。

博士になった感想ですが、少しの安堵感と少しの感慨があるぐらいで、それ以外は特に何もという感じですかね(笑) なぜかというと、僕の目標は自分の興味のある研究をして一生食っていくことであって、博士号取得を人生の目標に据えたことがないからです。普段の研究活動・成果の方がよほど大事で、博士号はそのオマケでついてくるぐらいの認識です。なので、博士号そのものはただの通過点、ただのチケットいう感じです。ただ、ここに到達するまでにたくさんの人の力を借りたので、今回のことを彼らに報告したらすごく喜んでくれたことは僕にとって大きかったです。ハンターハンターのジンの「大切なものは ほしいものより先にきた」の心境です。

良識のある友人たち・先生方からは「ここまで頑張ってきたんだし、少しは休んでね」みたいなことを言われたのですが、就活も決着ついてないですし、研究者としての僕の野心はまだまだ満たされてないので(笑)、安定したポジションを得て爆裂に研究するべく、「博士課程生としての終活」に勤しもうと思ってます。

ちなみに、博士号を取った後もこのブログは地味ながら続けようと思ってます。研究者人生の第2章も面白くなりそうなので。
ではでは、また近いうちにお会いしましょう。
このところ就活と博論でかなり心身共に疲弊しているのですが(汗)、その間良いニュースも少しあったので、手短にご報告をば。

1. 以前論文がForeign Policy Analysisというジャーナルから採択されたという話はしましたが、その論文がついに出版されました。Levy et al.(2015)という観衆費用研究では重要な論文の実験結果が再現できなかったという内容です。もう一生自分の論文なんて出版されないんじゃないかと不安になった時期もありましたが、なんとか出版までたどり着けて嬉しいです。このぐらいのジャーナルからコンスタントに論文が出せるようになることと、トップ・シャーナルから論文を出すことが次の目標になります。まだまだこれからという気分です。

2. サントリー文化財団から研究助成を頂けることになりました。「安心供与の国際政治学 ― 国家はいかにして平和にコミットできるのか」という研究テーマです。平和ボケと言われそうな発想を真面目に学問するとどういう発見があるのかという興味から来ているプロジェクトになります。実験案がいくつかあるので、今から楽しみです。

以上、簡単な報告でした。ではではー。