というわけで、この度メキシコのモンテレイ工科大学(Tec de Monterrey)からオファーがあり、今週契約合意に至りました。就労ビザが認可され次第、Assistant Professorとして働くことになります。まさか新天地がメキシコになるとは想像もしてませんでしたが、待遇も非常に良かったので、研究者人生第2章も楽しくなりそうです。

「モンテレイ工科大学ってどこ?」っていう方がほとんどだと思いますし、実際僕もインタビューに呼ばれるまで全く知りませんでしたが、中南米・南米では一番の私立大学らしいです。キャンパス訪問の時に僕には珍しく少し写真も撮ってきたのですが、モンテレイのキャンパス内には自然があふれており、鹿やクジャクもいました(笑)。また、メキシコならではのモニュメントもたくさんあって新鮮でした。「工科大学」と言っていますが、どうやらマサチューセッツ工科大学をオマージュしているようです。理系の学部が強く、学内にはモンテレイのテクノロジーを紹介しているところがたくさんあり、これらの技術を国際関係の研究に応用するのも面白そうだなと思ったりしました。



とはいえ就活は非常に辛かったです。「あぁ、このままどこからも必要とされず終わっていくのかな……」と何度も弱気になりました。拾ってくれたモンテレイ工科大学に非常に感謝しています。

以下、ざっくりとした就活の経緯です。

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22年8月-: アメリカを中心に応募し始める。
22年11月26日: モンテレイ工科大学に応募する。
23年1月: どこからもインタビューに呼ばれず、連絡が来てもrejectばっかりで、精神的に病む。
23年1月17日: モンテレイ工科大学からZoomインタビューの招待がある。初めてのインタビューで浮かれる。
23年1月23日: モンテレイ工科大学とのインタビュー。手ごたえなしで終わる。
23年2月6日: トルコの大学からZoomインタビューの招待がある。モンテレイで手ごたえなしだったので、万全の準備をして臨む。
23年2月16日: トルコの大学とのインタビュー。二回目ということもあり、比較的ズムーズに受け答えできた(気がする)。
23年3月4日: トルコの大学から現地開催のジョブ・トークに招待される。初めてのキャンパス訪問で浮かれる。
23年3月6日: モンテレイにいる知人から、first roundのオファーは別の候補者に行ったとの情報をもらう。トルコで失敗できなくなり、追いつめられる。
23年3月7日: モンテレイ工科大学からZoomでのジョブ・トークに招待される。どうやらfirst roundのオファーを断った人がいたらしい。2つの大学からジョブ・トークに呼ばれたことで少し精神的に安定する
23年3月14日: 北テキサス大学で一回目のPractice Job Talkをする。モンテレイを想定してZoomで実施。
23年3月15-19日: 学会参加のためにカナダに行く。現地でトルコの大学の教授陣と対面のインタビューがある。
23年3月21日: モンテレイ工科大学でのジョブ・トークの実施。非常に楽しく研究のお話ができて満足する。
23年3月22日: モンテレイ工科大学からキャンパス訪問に呼ばれる。非常に速い展開でびっくりする
23年3月27日: 北テキサス大学で二回目のPractice Job Talkをする。トルコを想定して対面で実施。
23年3月31日-4月4日: トルコの大学のキャンパス訪問およびジョブ・トークの実施。飛行機の遅延で午前2時に到着したりいろいろトラブルがあったりしたものの、教授陣や学生との交流を楽しむ。アメリカのご飯にうんざりしていたので、トルコでいいご飯が食べれて満足する。
23年4月14-16日: モンテレイ工科大学のキャンパス訪問を実施。学部生向けのレクチャー(1時間半-2時間)を1日に3回もさせられるという殺人的なスケジュールで疲弊するも、モンテレイの街並みや自然あふれるキャンパスを気に入る。また、学生の質が非常に高いなと感じる。
23年4月18日: モンテレイ工科大学から正式なオファーを準備しているという連絡をもらう。就活が終わりそうでほっとする。
23年4月19日: トルコの大学に連絡したところ、オファーは他の候補者に行ったとの回答が来る。トルコまで行って落とされることあるんだとちょっと驚いたが、これでメキシコに行く覚悟が決まる。
23年4月25日: インドの大学からジョブ・トークに呼ばれる。モンテレイの正式オファー待ちだったので辞退する。
23年5月4日: モンテレイから正式なオファーの提示がある
23年5月10日: モンテレイのオファーをアクセプトする。
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以下、アカデミアでの就活を経験しての感想です。

1. リジェクトが普通

僕のExcel Spreadsheetによると、去年の秋から73校に応募して、Zoomのインタビューに呼ばれたのが3校、ジョブ・トークまで行ったのも3校(インドはZoomインタビュー飛ばしていきなりジョブ・トークのお誘いだった)、正式なオファーがあったのが1校(1校リジェクト、1校辞退)という最終戦績でした。北テキサス大学の博士で、出版した論文も少ないにしてはわりと頑張った方、ラッキーな方だと思います。しかも全部ポスドクではなくAssistant Professorポジションでしたし。

それでも70校からリジェクトされているのが現実です。なので、なかなか難しいことですが、うまくいかないのが普通だと思って、どういう結果になろうとも淡々と応募し続ける方が、精神的に楽だと思います。アメリカやアメリカのやり方をマネしているところは基本的に応募する書類は変わらないので、たくさん応募してもそこまで手間ではないです。

2. 自分でコントロールできないことが採否に大きく影響する

研究・教育業績を積む、夏の間に書類を仕上げる、インタビューの練習をするなど、ジョブマでの成功確率を上げるために能動的にできることもいろいろありますが、自分ではどうしようもないことで採否が決まることも多々あります。例えば、トルコの大学については当初結構楽観的で、というのも①ジョブアドにMultiple Positions募集と書いてあった、②キャンパス訪問には自分を含め二人しか呼んでいないとのことで、「じゃあもらったようなもんじゃん!」と思っていました。で、蓋を開けてみると①university administrationから一人分のオファーしか出すなと指示された、②東アジア国際関係を専門に研究し、授業できる人が最優先だったという理由でリジェクトされました。前者についてはトルコの経済状況がかなり不安定なことが影響したようです。後者についても、もう一人の候補者がAsian IRを専門にしている人なので、かたや僕は東アジアに特化した研究プロジェクトや論文が多いわけではないので、オファーがもう一人の候補者に行くのも納得ではあります。

このように、誰を採用されるかどうかはフィットや大学側のニーズに大きく左右されるので、自分ではコントロールしがたいところで概ね採否が決まります。なので、リジェクトされても「自分はダメだ」と思わず、「フィットが合わなかっただけで、いずれ自分と合ったところが拾ってくれるはず!」と思っておいた方が気は楽です。

3. アメリカPh.D.持ちはアメリカ外にも需要がある

僕が最終面接に呼ばれたのはメキシコ、トルコ、インドの大学からです。つまりアメリカの大学からはどこからもお呼びがかからなかったということになります。なかなか厳しい現実ですが、ある程度仕方ないことでもあります。というのもアメリカの大学では、①アジアやglobal southなど、地域に特化したポジションが多い、②今流行りのテーマ(technology、cyber security、IPE、human rights、gender)についての募集が多く、伝統的な安全保障をテーマとするポジションは少ない、③伝統的なトピックでも僕の主たる関心である観衆費用は懐疑的な人も多く、あまり人気がない、④トップ・スクールには同じようなテーマで実験を使うも多いため、僕が応募するようなポジションのオファーは彼らのところに行く、といった諸々の事情があるからです。

かたやアメリカ外で、これからのし上がっていこうという国の大学は、優れた研究成果さえ出してくれそうならテーマはわりとなんでもいいという雰囲気があります。そういった大学は教育負担も少なく、研究補助やインゼンティブも結構つけてくれ、給料も現地の水準をかなり高いところが多いです。なので、ずっとその国・その大学に留まるかどうかは別問題として、ゴリゴリ研究をして業績を出したいという人にとっては、最初のポジションとして悪くないのではと思います。


というわけで、紆余曲折ありましたが、「研究者としてご飯を食べていく」という目標はなんとか達成できそうで安堵しています。次のチャレンジが待ち遠しいです。
前回もお伝えした通りこのブログは細々と続けていくつもりですので、また次回!