前回の記事で僕の単著の論文がInternational Studies Quarterly(ISQ)という国際関係論のトップ・ジャーナルから条件付き採択(conditional accept)をもらったという話をしましたが、この度conditionalがとれて無事正式に採択されました。これからデータの再現性チェックやcopy editingがあるのでオンラインで現物を見るのはもう少し先になりそうですが、プレプリント版はこちらからアクセスできます。” Audience Costs and the Credibility of Public versus Private Threats in International Crises” というタイトルです。
内容なのですが、国際関係論において重要ではあるけど未解決の問題の一つに、国際危機において敵対国を威嚇する際、public threatとprivate threatのどっちの方がいいんだ? というものがあります。public threatとは、公衆の面前で行う威嚇のことです。例えば1962年のキューバ危機のときに、ソ連のキューバへの核兵器持ち込みに対し、当時の米国大統領だったジョン・F・ケネディは海上封鎖の声明を出したのですが、あれはテレビ演説によって伝えられたものでした。テレビ演説なので、アメリカの国民も威嚇の存在と内容を知っているわけですね。それに対し、秘密外交ルートを通じてこっそり威嚇するという選択肢もあります(=private threat)。1950年の朝鮮戦争の際に、中国はアメリカに国連軍が38度線を越えたら軍事介入するというメッセージを伝えるのですが、これは駐中インド大使であるKavalam Madhava Panikkarを通じて内密に伝えられたものでした(Christensen 1992)。
上記のように、威嚇するにしてもpublicかprivateかという選択肢があり、当然どちらの方が威嚇の信憑性が高いのか、より効果的なのかという話になります。私が前々から関心を持っている国内観衆費用の理論からすると、前者の方が信用されやすいという予測が立てられます。なぜなら、威嚇がpublicなら、国内の観衆は威嚇の存在および内容を知っているので、もし政治的指導者がその威嚇を反故にした場合、指導者を(選挙等を通じて)罰することができるからです。かたや、private threatの場合には国内観衆には指導者を懲罰する機会が生まれない。したがって、public threatの方が大きい観衆費用を発生させることができ、それゆえに敵対国に威嚇を信用されやすい、ということになります(Fearon 1994; Fearon 1997)。この予測自体は国際関係論の分野ではよく知られたものなのですが、他方で最近はこの考え方に挑戦する研究も増えてきています。例えば、Katagiri&Min(2019)はpublic threatはいろんな国内・国際観衆のことを考慮して発言しなければいけないから相手国に意図が伝わりづらい、かたやprivate threatだと意図をストレートに伝えられるからより効果的という主張をしています。
このようにpublic threatとprivate threatの信憑性についてはいろんな理論的予測があるのですが、どちらの方が信憑性が高いのかについて実証的に検証した研究はほとんどありません。その一つの例外が前述のKatagiri&Minなのですが、彼らは1958-63年のベルリン危機でのソ連側のpublic/private threatの文書をテキスト分析するというアプローチをとっているので、private threatの方が効果的という彼らの発見が因果関係を示しているのかどうかについてはちょっと微妙なところがあります。
そこで、この論争に対する一つの答えを与えるべく、アメリカでサーベイ実験という実験を行いました。いくつかある実験の中でもコンジョイント実験(conjoint experiment)というものを実施しているのですが、ここでは詳細は省きます。実験の内容は、簡単に言うと、仮想的な二か国(Country A or B)が領土を巡って国際危機に陥っていて、Country A or Bが引き下がらない(stand firm)確率はどれくらいだと思いますか?というのを聞くんのですが、その際にこれらの国が威嚇をしたのか、威嚇をした場合はpublicかprivateかという情報をランダムで与えています。また、国内の観衆がタカ派またはハト派であるか、指導者が国内的に人気が高いか低いか、といった情報もランダム化しています。public threatの信憑性を高めるメカニズムが観衆費用なのであれば、国内観衆がタカ派であり、指導者が人気がない場合に観衆費用が大きくはずなるので、このような条件下でpublic threatの信憑性がより高まると考えられます。
実験の結果、private threatと比べ、public threatの方が信憑性が若干高く、かつ国内観衆がタカ派and/or指導者に人気がない場合にpublic threatの効果が大きいという発見が得られました。この結果は大衆の面前で行った威嚇の方が信用されやすく、その信憑性をもたらすメカニズムは国内観衆費用だということ示唆しています。したがって、概ね観衆費用理論に合致する実験結果になったと言えるでしょう。平たく言えば、威嚇なり約束なり、相手に信じてもらいたいのなら人前でやった方がいいよ、ということになるでしょうか。
もちろんこの研究でこのテーマが終わりになるわけもなく、例えば「public threatの信憑性を高めるメカニズムは観衆費用以外に無いの?」「private threatの信憑性が高くなる因果メカニズムは?」「サーベイ実験の結果の外的妥当性は?」「威嚇以外のコミットメントにも応用できる話?」「そもそも指導者は威嚇をpublicにするかprivateにするかをどうやって選んでるの?」などなど、積み残している課題も多いです。なので、僕自身もこのテーマを引き続き深堀りしていきたいなと思ってますし、この論文を面白いと思った他の研究者が上記のような問題に取り組んでくれたら、これ以上ない幸せですね。
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さて、誰が興味あるのかわからないですが、投稿や査読のプロセスについてもちょっと情報提供できたらと思います。今回出版した論文はResearch Noteというフォーマットで掲載されることになります。日本語だと研究ノートと呼ばれることもあり、日本計画行政学会によると「研究論文は、研究の学術的貢献が十分に認められ、論文としての完成度が高いもの、研究ノートは論文ほど完成度が高くないが、学会誌掲載することが有意義と認められるもの」という区別をされています。ですが、僕もいろいろ気になって調べてみたのですが、国際ジャーナルではArticleとResearch Noteに貴賤の違いは基本的に無く、海外の大学で昇進審査に影響することもほとんど無いようです。
ISQにはOriginal Research ArticlesとResearch Notesという異なるフォーマットがあります(他にもTheory Notesとかありますが、ここでは割愛)。以下がISQのウェブサイト上の説明になります。
• Original Research Articles are long-form submissions to the journal—Original research articles should not exceed 12,000 words—including all tables, figures, footnotes, and bibliography, but excluding abstract and maximum 10 pages of appendices. These submissions address important global phenomena relevant to a general international-studies audience. They should have a well-developed, original, theoretical argument that is supported, as appropriate, by a rigorous substantive analysis consistent with the manuscript’s methodological approach. As with all contributions, they should reflect original work.
• Research Notes make a novel and focused contribution to empirical knowledge of significance in international studies, and typically include the presentation of new data. Research notes range from 4,000-8,000 words (excluding online supplementary material). These contributions frequently involve quantitative analysis, but they may be qualitative in character—such as pieces that introduce new archival material that challenges conventional wisdom on cases important to the broader discipline. For this type of manuscript, we do not require the same level of theoretical complexity and detailed empirical investigation as for a regular research article. But in addition to potentially describing new data, the manuscript should show how the new data can make a valid and important contribution to the study of international studies, for instance by pointing to results that are significantly different from research studies published previously. Key to a successful research note is presentation of valuable information to other researchers in terms of the aim of the note, problem formation, information collection, conclusions, and directions for further research.
それで、博論執筆時から僕はこの論文はResearch Noteとしてジャーナルに投稿するつもりで書いていました。というのも、この研究では理論的に新しいことは特に言っておらず、既存の理論や主張へのエビデンスの分裂状態を解決するという、あくまで実証的貢献が売りだと思っていたからです。と考えると、上で赤くハイライトした通り、ISQに出すのであればResearch Noteの方が適していると考えられます。
ちなみに投稿するジャーナルとしてはISQ以外では当初British Journal of Political Science(BJPS)も検討していました。BJPSは政治学のトップ・ジャーナルの一つですし、ISQと同様にLetterという短いフォーマットがあります(up to 4000 words)。また、観衆費用でサーベイ実験を用いた研究かつLetterのフォーマットの論文がこの間出版されています(Quek 2022)。なので、研究のインパクト的にBJPSなら手が届くかなと検討していたのですが、博論コミッティーの一人から「基本的に国際関係論(International Relations, IR)の人に受ける内容だからISQの方が合ってそう」と言われたのと、僕自身は政治学よりはIRの研究者としてのアイデンティティの方が強く、IRのことがちゃんとわかってて研究できる奴という認知を得る方が現時点では大事だと思っていたので、まず最初にISQに投稿することにしました。ISQがダメだったら、IRのジャーナルでかつResearch Note的なフォーマットがあるInternational Interactions、Journal of Global Security Studies、Foreign Policy Analysisあたりに投稿しようかなと考えていました。
初稿は2023年5月16日に提出し、6月30日に修正後再提出(revise and resubmit, R&R)の査読結果が返ってきました。ISQは以前別のペーパーで投稿して、3か月待った後リジェクトだったので、今回1か月半で返ってきたのもびっくりしましたし、一回目の投稿でR&Rが来たことにも驚きました。なかなか嬉しかったのですが、一人目(R1)と二人目(R2)の査読者で相反する修正要求があり、どうしたものかと考えていたら再投稿が提出期限ギリギリの12月17日になってしまいました。6か月も修正期間をもらったのに、時間が溶けていくのはなんて早いんでしょう。
結局R2の要求を呑まずにR1に従って修正をしたので、「いやー、僕がR2の立場だったら怒るかもしれんなぁ…」と掲載拒否を覚悟していました、ですが、蓋を開けてみたら2回目の査読をしてくれたのはR1だけで、R1の後押しもあって1月8日にconditional acceptの連絡が来ました。国際ジャーナルでは編集者の裁量も大きく、編集者が味方してくれたことも大きかったように感じます。細かな修正・加筆をして2月4日に再々投稿をし、2月8日に正式採択となったのが、今回の顛末になります。
ちなみに、去年Foreign Policy Analysis(FPA)から別の論文が出たときも、他のジャーナルに投稿することなく、一回目の投稿でFPAからR&Rが来て、わりとするすると出版まで行きました。他方で、複数のジャーナルから掲載拒否をくらった挙句、行き場を失ったペーパーもたくさんあります。なので、うまくいく時は1回目ですんなり、そうでない時はいつまで経っても論文化できない、というパターンが僕には当てはまります。これがわりと普遍的な傾向なのかどうか、少し気になります。自分が投稿するジャーナルの選び方がやや保守的なこと(=なんでもいいから最初はAmerican Political Science Review(APSR)から投稿といったやり方はしていない)、一定程度知名度のある国際ジャーナルなら同じような質の査読者が見るから、どこに出そうと致命的な問題があれば査読者たちはそれに気づくといったことと関係あるのかな、なんて思ったりしてます。
2017年に早稲田の博士課程進学に失敗して、2018年に北テキサス大学に拾ってもらうまで放浪していたことを考えると、ISQに論文が採択された現状は出来すぎという感もあります。ISQレベルのジャーナルから出版したことがある日本人のIR研究者はそこまで多くないはずなので。ですので、ここまで到達できたことに対する満足感も大きいのですが、他人が自分の仕事ぶりを評価するときに、(1) ISQは業界内での評判は高いけどImpact Factorといった指標面でいうとそこまででもないこと、(2) 前回のFPAから連続で、Research Noteという短いフォーマットでの論文出版なので、豊かな理論的貢献がある、長い論文が書けない奴だと思われかねないこと、(3) ISQ、FPAはIRに特化したジャーナルで、APSRやAmerican Journal of Political Science(AJPS)といった政治学の広いオーディエンスを対象としたジャーナルからは論文が出せていないことあたりが、今後減点材料になってくるのかなと思います。なので、長期的にはこれらを念頭に、文句のつけようがない履歴書に仕上げていきたい所存です。
いつもと比べて長くなりましたが、テンション高めなので、そういうことです(笑)。来週から春学期が始まるので投稿頻度はまた落ちそうですが、ゆるゆると無理ないペースで今後も続けていきたいと思います。
というわけで今回はこのあたりで。ではでは。
・参考文献
Christensen, Thomas J. "Threats, Assurances, and the Last Chance for Peace: The Lessons of Mao's Korean War Telegrams." International Security (1992): 122-154.
Fearon, James D. "Domestic political audiences and the escalation of international disputes." American Political Science Review 88.3 (1994): 577-592.
Fearon, James D. "Signaling foreign policy interests: Tying hands versus sinking costs." Journal of Conflict Resolution 41.1 (1997): 68-90.
Katagiri, Azusa, and Eric Min. "The credibility of public and private signals: A document-based approach." American Political Science Review 113.1 (2019): 156-172.
Quek, Kai. "Untying Hands: De-escalation, Reputation, and Dynamic Audience Costs." British Journal of Political Science 52.4 (2022): 1964-1976.
内容なのですが、国際関係論において重要ではあるけど未解決の問題の一つに、国際危機において敵対国を威嚇する際、public threatとprivate threatのどっちの方がいいんだ? というものがあります。public threatとは、公衆の面前で行う威嚇のことです。例えば1962年のキューバ危機のときに、ソ連のキューバへの核兵器持ち込みに対し、当時の米国大統領だったジョン・F・ケネディは海上封鎖の声明を出したのですが、あれはテレビ演説によって伝えられたものでした。テレビ演説なので、アメリカの国民も威嚇の存在と内容を知っているわけですね。それに対し、秘密外交ルートを通じてこっそり威嚇するという選択肢もあります(=private threat)。1950年の朝鮮戦争の際に、中国はアメリカに国連軍が38度線を越えたら軍事介入するというメッセージを伝えるのですが、これは駐中インド大使であるKavalam Madhava Panikkarを通じて内密に伝えられたものでした(Christensen 1992)。
上記のように、威嚇するにしてもpublicかprivateかという選択肢があり、当然どちらの方が威嚇の信憑性が高いのか、より効果的なのかという話になります。私が前々から関心を持っている国内観衆費用の理論からすると、前者の方が信用されやすいという予測が立てられます。なぜなら、威嚇がpublicなら、国内の観衆は威嚇の存在および内容を知っているので、もし政治的指導者がその威嚇を反故にした場合、指導者を(選挙等を通じて)罰することができるからです。かたや、private threatの場合には国内観衆には指導者を懲罰する機会が生まれない。したがって、public threatの方が大きい観衆費用を発生させることができ、それゆえに敵対国に威嚇を信用されやすい、ということになります(Fearon 1994; Fearon 1997)。この予測自体は国際関係論の分野ではよく知られたものなのですが、他方で最近はこの考え方に挑戦する研究も増えてきています。例えば、Katagiri&Min(2019)はpublic threatはいろんな国内・国際観衆のことを考慮して発言しなければいけないから相手国に意図が伝わりづらい、かたやprivate threatだと意図をストレートに伝えられるからより効果的という主張をしています。
このようにpublic threatとprivate threatの信憑性についてはいろんな理論的予測があるのですが、どちらの方が信憑性が高いのかについて実証的に検証した研究はほとんどありません。その一つの例外が前述のKatagiri&Minなのですが、彼らは1958-63年のベルリン危機でのソ連側のpublic/private threatの文書をテキスト分析するというアプローチをとっているので、private threatの方が効果的という彼らの発見が因果関係を示しているのかどうかについてはちょっと微妙なところがあります。
そこで、この論争に対する一つの答えを与えるべく、アメリカでサーベイ実験という実験を行いました。いくつかある実験の中でもコンジョイント実験(conjoint experiment)というものを実施しているのですが、ここでは詳細は省きます。実験の内容は、簡単に言うと、仮想的な二か国(Country A or B)が領土を巡って国際危機に陥っていて、Country A or Bが引き下がらない(stand firm)確率はどれくらいだと思いますか?というのを聞くんのですが、その際にこれらの国が威嚇をしたのか、威嚇をした場合はpublicかprivateかという情報をランダムで与えています。また、国内の観衆がタカ派またはハト派であるか、指導者が国内的に人気が高いか低いか、といった情報もランダム化しています。public threatの信憑性を高めるメカニズムが観衆費用なのであれば、国内観衆がタカ派であり、指導者が人気がない場合に観衆費用が大きくはずなるので、このような条件下でpublic threatの信憑性がより高まると考えられます。
実験の結果、private threatと比べ、public threatの方が信憑性が若干高く、かつ国内観衆がタカ派and/or指導者に人気がない場合にpublic threatの効果が大きいという発見が得られました。この結果は大衆の面前で行った威嚇の方が信用されやすく、その信憑性をもたらすメカニズムは国内観衆費用だということ示唆しています。したがって、概ね観衆費用理論に合致する実験結果になったと言えるでしょう。平たく言えば、威嚇なり約束なり、相手に信じてもらいたいのなら人前でやった方がいいよ、ということになるでしょうか。
もちろんこの研究でこのテーマが終わりになるわけもなく、例えば「public threatの信憑性を高めるメカニズムは観衆費用以外に無いの?」「private threatの信憑性が高くなる因果メカニズムは?」「サーベイ実験の結果の外的妥当性は?」「威嚇以外のコミットメントにも応用できる話?」「そもそも指導者は威嚇をpublicにするかprivateにするかをどうやって選んでるの?」などなど、積み残している課題も多いです。なので、僕自身もこのテーマを引き続き深堀りしていきたいなと思ってますし、この論文を面白いと思った他の研究者が上記のような問題に取り組んでくれたら、これ以上ない幸せですね。
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さて、誰が興味あるのかわからないですが、投稿や査読のプロセスについてもちょっと情報提供できたらと思います。今回出版した論文はResearch Noteというフォーマットで掲載されることになります。日本語だと研究ノートと呼ばれることもあり、日本計画行政学会によると「研究論文は、研究の学術的貢献が十分に認められ、論文としての完成度が高いもの、研究ノートは論文ほど完成度が高くないが、学会誌掲載することが有意義と認められるもの」という区別をされています。ですが、僕もいろいろ気になって調べてみたのですが、国際ジャーナルではArticleとResearch Noteに貴賤の違いは基本的に無く、海外の大学で昇進審査に影響することもほとんど無いようです。
ISQにはOriginal Research ArticlesとResearch Notesという異なるフォーマットがあります(他にもTheory Notesとかありますが、ここでは割愛)。以下がISQのウェブサイト上の説明になります。
• Original Research Articles are long-form submissions to the journal—Original research articles should not exceed 12,000 words—including all tables, figures, footnotes, and bibliography, but excluding abstract and maximum 10 pages of appendices. These submissions address important global phenomena relevant to a general international-studies audience. They should have a well-developed, original, theoretical argument that is supported, as appropriate, by a rigorous substantive analysis consistent with the manuscript’s methodological approach. As with all contributions, they should reflect original work.
• Research Notes make a novel and focused contribution to empirical knowledge of significance in international studies, and typically include the presentation of new data. Research notes range from 4,000-8,000 words (excluding online supplementary material). These contributions frequently involve quantitative analysis, but they may be qualitative in character—such as pieces that introduce new archival material that challenges conventional wisdom on cases important to the broader discipline. For this type of manuscript, we do not require the same level of theoretical complexity and detailed empirical investigation as for a regular research article. But in addition to potentially describing new data, the manuscript should show how the new data can make a valid and important contribution to the study of international studies, for instance by pointing to results that are significantly different from research studies published previously. Key to a successful research note is presentation of valuable information to other researchers in terms of the aim of the note, problem formation, information collection, conclusions, and directions for further research.
それで、博論執筆時から僕はこの論文はResearch Noteとしてジャーナルに投稿するつもりで書いていました。というのも、この研究では理論的に新しいことは特に言っておらず、既存の理論や主張へのエビデンスの分裂状態を解決するという、あくまで実証的貢献が売りだと思っていたからです。と考えると、上で赤くハイライトした通り、ISQに出すのであればResearch Noteの方が適していると考えられます。
ちなみに投稿するジャーナルとしてはISQ以外では当初British Journal of Political Science(BJPS)も検討していました。BJPSは政治学のトップ・ジャーナルの一つですし、ISQと同様にLetterという短いフォーマットがあります(up to 4000 words)。また、観衆費用でサーベイ実験を用いた研究かつLetterのフォーマットの論文がこの間出版されています(Quek 2022)。なので、研究のインパクト的にBJPSなら手が届くかなと検討していたのですが、博論コミッティーの一人から「基本的に国際関係論(International Relations, IR)の人に受ける内容だからISQの方が合ってそう」と言われたのと、僕自身は政治学よりはIRの研究者としてのアイデンティティの方が強く、IRのことがちゃんとわかってて研究できる奴という認知を得る方が現時点では大事だと思っていたので、まず最初にISQに投稿することにしました。ISQがダメだったら、IRのジャーナルでかつResearch Note的なフォーマットがあるInternational Interactions、Journal of Global Security Studies、Foreign Policy Analysisあたりに投稿しようかなと考えていました。
初稿は2023年5月16日に提出し、6月30日に修正後再提出(revise and resubmit, R&R)の査読結果が返ってきました。ISQは以前別のペーパーで投稿して、3か月待った後リジェクトだったので、今回1か月半で返ってきたのもびっくりしましたし、一回目の投稿でR&Rが来たことにも驚きました。なかなか嬉しかったのですが、一人目(R1)と二人目(R2)の査読者で相反する修正要求があり、どうしたものかと考えていたら再投稿が提出期限ギリギリの12月17日になってしまいました。6か月も修正期間をもらったのに、時間が溶けていくのはなんて早いんでしょう。
結局R2の要求を呑まずにR1に従って修正をしたので、「いやー、僕がR2の立場だったら怒るかもしれんなぁ…」と掲載拒否を覚悟していました、ですが、蓋を開けてみたら2回目の査読をしてくれたのはR1だけで、R1の後押しもあって1月8日にconditional acceptの連絡が来ました。国際ジャーナルでは編集者の裁量も大きく、編集者が味方してくれたことも大きかったように感じます。細かな修正・加筆をして2月4日に再々投稿をし、2月8日に正式採択となったのが、今回の顛末になります。
ちなみに、去年Foreign Policy Analysis(FPA)から別の論文が出たときも、他のジャーナルに投稿することなく、一回目の投稿でFPAからR&Rが来て、わりとするすると出版まで行きました。他方で、複数のジャーナルから掲載拒否をくらった挙句、行き場を失ったペーパーもたくさんあります。なので、うまくいく時は1回目ですんなり、そうでない時はいつまで経っても論文化できない、というパターンが僕には当てはまります。これがわりと普遍的な傾向なのかどうか、少し気になります。自分が投稿するジャーナルの選び方がやや保守的なこと(=なんでもいいから最初はAmerican Political Science Review(APSR)から投稿といったやり方はしていない)、一定程度知名度のある国際ジャーナルなら同じような質の査読者が見るから、どこに出そうと致命的な問題があれば査読者たちはそれに気づくといったことと関係あるのかな、なんて思ったりしてます。
2017年に早稲田の博士課程進学に失敗して、2018年に北テキサス大学に拾ってもらうまで放浪していたことを考えると、ISQに論文が採択された現状は出来すぎという感もあります。ISQレベルのジャーナルから出版したことがある日本人のIR研究者はそこまで多くないはずなので。ですので、ここまで到達できたことに対する満足感も大きいのですが、他人が自分の仕事ぶりを評価するときに、(1) ISQは業界内での評判は高いけどImpact Factorといった指標面でいうとそこまででもないこと、(2) 前回のFPAから連続で、Research Noteという短いフォーマットでの論文出版なので、豊かな理論的貢献がある、長い論文が書けない奴だと思われかねないこと、(3) ISQ、FPAはIRに特化したジャーナルで、APSRやAmerican Journal of Political Science(AJPS)といった政治学の広いオーディエンスを対象としたジャーナルからは論文が出せていないことあたりが、今後減点材料になってくるのかなと思います。なので、長期的にはこれらを念頭に、文句のつけようがない履歴書に仕上げていきたい所存です。
いつもと比べて長くなりましたが、テンション高めなので、そういうことです(笑)。来週から春学期が始まるので投稿頻度はまた落ちそうですが、ゆるゆると無理ないペースで今後も続けていきたいと思います。
というわけで今回はこのあたりで。ではでは。
・参考文献
Christensen, Thomas J. "Threats, Assurances, and the Last Chance for Peace: The Lessons of Mao's Korean War Telegrams." International Security (1992): 122-154.
Fearon, James D. "Domestic political audiences and the escalation of international disputes." American Political Science Review 88.3 (1994): 577-592.
Fearon, James D. "Signaling foreign policy interests: Tying hands versus sinking costs." Journal of Conflict Resolution 41.1 (1997): 68-90.
Katagiri, Azusa, and Eric Min. "The credibility of public and private signals: A document-based approach." American Political Science Review 113.1 (2019): 156-172.
Quek, Kai. "Untying Hands: De-escalation, Reputation, and Dynamic Audience Costs." British Journal of Political Science 52.4 (2022): 1964-1976.