楽しいことだけをして生きたいというのは、全ての人間が考えていそうだが実はそうでもない希望



柳葉魚
野菜炒め
ステーキ



辛いことをして成長しようなんて考える人もいる。
楽しいことだけでは、立派な人間にはなれないと考えている。

嫌なことに対する姿勢を身に付けるには、やはり嫌なことをしてみるべきなのだ。



そうは言っても楽をしたがる人が大半だろうし、私もそうだ。
それなのに、義務でもない重責を負おうとする人は多い。例えば高校に行き勉強すること。辛い部活動をすること。
楽しいことだけを考えて生きようとして、ストレスは溜まっていくのだろう。



我々は自作の天秤をもっている。
片方に楽しさ、片方に辛さを載せて、傾いた方に向かうのだ。
人によっては、感度が高かったり低かったり、いつも傾いていたり、錆び付いて壊れてるかもしれない。
それがつまり個性で
つまり心なんだ。



細かく言うと、楽しさの方には世間体のように名前さえ楽しくない物も入っているだろう。
しかし、楽しくない物も楽しさを作る。回りの目を気にせずに自由でいることが楽しいことではない。



極論だが、楽しいことを知らなければ楽しくなくても辛くはない。楽しくないことを知らなければ楽しくても幸せではない。

楽しいことを知っているから、辛いことがわかる。
辛いことを知っているから、楽しいことを楽しめる。

見えない力が感情に作用している。ベクトルの向きや大きさを変えるだけでなく、もっと根本的な演算が行われているような気もする。



数学的に解くことはできない
明るい月を見て、月が明るいと思う。
冬の寒い朝に、ああ寒いなと思う。
そういう感情を指して素直と言うのだ。



明太子
唐揚げ
すき焼き



善悪は絶対ではない。必ず誰かにとっての善は誰かにとっての悪である。
それはつまり、相対的な感情だからか。感情なんて不確かな物が絶対的であるはずがないか。
ある人は善だと言い、またある人は悪だと言うこともあるだろう。



そういう捉えにくいものを単純化して、絶対的に捉えてしまおうという意志が人類にある。
例えば行為の悪さに応じて階級を分け、それぞれに対応した罰を与えるシステム。
おもしろいのは、反省などの善人らしい感情があれば、減刑されること。
その程度で法律は臨機応変だと言い張る。



事後の態度にどんな意味があるだろう。
カッとなってつい、反省してます。
殺してやりたかった。後悔してない。
案外、前者の方が命を軽視している気がして来ないだろうか。

後のことよりも過程での思考が大切だとも思う。
そこにもやはり、僅かな善の思考があるのだ。



道はいくつも前にある。
我らは選びただ辿る。
君達は望むものがあると信じて。
私はやはりないのだと知るために

ラウ・ル・クルーゼ



鯖の味噌煮
オムライス
豚汁



未来とは必ず不定であるはずだ。しかし、私達は確定した未来があると常に信じている。
ここに人間と言う生物の脆弱さが見えるような気がする。



道を選ぶとき私達は何を考えるか。
成功した後の利益か
失敗した時の損失か
それにかかる時間か
もしくはメンバーか
きっと、こんな感情の妥協点に近い物を選択するのだろう。



しかし、ちょっとしたアクシデントで状況は一変するはずだ。
未来を見据えて選択したはずの道は、未来へ進むほど誤差が出る。
大きな選択は、大抵後悔するものだ。



とは言っても、『やはりないのだと知るために』道を選択するなんて達観してる人ぐらいだろう。
日本人は、選択することに臆病だ。度胸がないと言ってもいい。
大きな選択から逃れるように選択している。

私がそうだ。

しかしそれでも選択の機会はやって来て、その度に悪い予感を感じながら選択する。
うまくいけば、良かった。
失敗なら、やっぱりね。

選択なんてそんなもの
想像した通りの未来になると思っているわけではない。
当たるも八卦当たらぬも八卦
ただ辺りの方が嬉しいから信じ、祈り、鼓舞するのだ。

未来を確定させてしまうのも、つまりそういった意味なのかも。



優柔不断
意思薄弱
みんな違ってみんないい