時間というものは、人間には操れない。剣の達人は一瞬を引き延ばして膨大な思考をするようだが、それだって相対的な感覚であって、他人には感じ取れない変化だ。



野菜炒め
チキンソテー
青椒牛肉



ボールを落とすとき
半分ずつ落ちていくと考えると、永遠に地面には落ちないような気がする、という話があるが
これは時間を濃くしていった結果であって、結局は予定通りに落ちるのだ。



時間が経つのが成長とともに早くなっていくように感じたことはあるだろうか。
小学校くらいの頃はその変化に驚かされたものだが、最近はほとんど変化を感じなくなった。

どこかで聞いた話では、時間というのは生きてきた時間に対して相対的な物らしい。
若いときほど一年は長く、年を取ると短くなっていく。

誰もがこの感覚を持っていて、
つまり、誰もが自分の時間を操っている。

可能性が増えることはない。
存在する前には無限の可能性があるかもしれないが、母の胎内に宿った時点に、産まれるまでに、産まれた時に、死ぬまでに、どんどん可能性は減っていく。



秋刀魚の蒲焼き
豚キムチ丼
ホッケ



可能性が無限というのは、何でも出来るという意味で、何にでもなれるということ。スポーツ選手になること、宇宙人と友達になること

何かをするときには些細でも理由があり、しないときにも理由がある。何かをすることが他の何かをすることの理由になることもある。
私たちは理由を作っては、可能性を減らし続ける。

五感によって情報を取得し、脳によってそれを認識する。
それが本当だが、実感的とは言えない

目が生まれつき見えない人には、見えるということがわからない。そのため信号を与えても認識出来ないことがあるようだ。

これはおもしろい話で、見える条件に見えていたことが必要という、矛盾していそうな話になる。

結局、見るのは目で、五感によって認識している、ともいえるだろう