子供の頃はもっと頭が良かった。
大人になるにつれて、知っていることが増えて、鈍くなって、わからないことが増えて、働くことを考えるようになった。



肉じゃが
焼き肉
しゃぶしゃぶ



算数なんて、足し算と引き算が出来るなら、あとは考えればわかった。
数学になったって、基礎が増えるだけで、それさえ覚えてしまえばどうにかなるはずなのに、
いつの間にか私は公式を覚えるようになった。



ものを覚える度に頭の回転が悪くなるような気がする。
脳の容量は一定で、記憶に使う領域が多くなると、思考に使える領域が少なくなる、とか

そもそも、こんなにも無駄なものを覚えるって事が必要なのは教育のせいで、初めから必要なものだけを覚えるような教育であれば、
つまりベクトルが集中していれば、
もっと科学は進歩する。

かもしれない

誰だって
生きる理由を求めたりなんてしない。
それはつまり、自分に理由がないからじゃないか



お茶漬け
豚丼
麻婆豆腐



誰だって
死のうとする人には理由を求める。
やっぱり、死ぬことは普通ではないとか思っている。

絶対数なら圧倒的に死者の方が多いし、誰だって死んでる時間の方がずっと長いはずなのに
生きている方がイレギュラーだとは考えない



死ぬ理由は、生きていなくていいから
生きる理由は、選択の幅を増やすため
だと思う。

生きているなら死ぬことを選択できる。
しかし、死んでしまったら生きることは選べない。(少なくとも、聞いたことはない)
生きることの優れている点は、それくらいだ。
死ねることだけが、生きていることの利点



理論も倫理も必要ない
生きているから生きるんだ
世界
というのは、世の中の全て
地球、もしくは宇宙の全て
全ては世界の一部で、世界は全ての合計



何かが消える事で世界は変わる。その何かが無くなった世界になる。
自殺の理由に選ぶには相応しくないテーマだ。
とは言うものの、概念の認識の違いが無謀な自殺を引き起こしている。
世界とは何か、変わるとは何か。そして自殺とは何か。



世界から見るとちっぽけだとか、小さな世界だとか、世界という言葉で色々な物を表そうとしている。
そして、その曖昧さが原因になることだってある。
言葉の意味に余裕を持たせる必要はあるのか。機械的に言葉と意味を繋げるだけで、人間は生活できるはずだ。