いくつもの枠に入っている。
名前の有る枠、無い枠
形の有る枠、無い枠
大きい、小さい、好き、嫌い



成長するにつれて、私達は枠の数を増やそうとする。より強固に、より頑強に。何のためか。中にあるのは何か。

人間という奴はそうやって、何かを閉じ込めている。それが本能かもしれない。いや、恐怖のような物か。

何らかの影響で自身の枠が減ると、自殺する人もいるだろう。
開けてはならない。開けてはならない。
そういった強迫観念がプログラムされていて、だから枠を増やしたいと考えるのかもしれない。

これは、人間の自然な思考か、不自然な思考か。
運命が有るのか無いのか
どんなに考えても答えは出ないが、考える事が無意味である事はない。

運命が無いと考えると、何もおもしろい事はない。
我々は思考して選択する。状況や要因によって最善を選び、結果を得る。しかし、気まぐれという外乱要素も加わり、時に不可解な選択をする。

運命が有るとするなら、そんな気まぐれさえも神様のプログラムと言える。
自分の思考、他人の動き、草花や風、原子まで全て一分の狂いもなく、予定通りに動く。

神様は世界の最終形を知っている。
まあ、信じてないのですけれどね


近頃の若者は、と嘆く大人を見ると、近頃の若者である私達は、近頃の大人は、と嘆かずにはいられない。



秋刀魚
牛丼
ジンギスカン



草食系男子が流行と共に増えている。実際に数えたわけではないが、10年前には私の周りにも今ほどはいなかった様に思う。
男らしくないその性格を、男らしい大人達はどう考えているだろう。案外悲観していないかもしれないが。



人の性格という物は、周囲との関係の中で形成される物で、関係を持った多くの人に責任がある。
猟奇的な殺人鬼の親は悲しむ前に、反省しなければならない。親しい知り合いにも、そうした責任はあるだろう。殺人衝動を押さえられなかった責任は、そんな性格にしてしまった責任よりも重いのか。



性格の流行は時代を表している。
自在に操るのが非常に難しい、なるべくしてなる物だが、そうなる理由はある。
強く締め付けられた弱気な子供は、自分の意見よりも他人の意見を尊重するようになるだろう。

そこまで深く考えないで周りと同じように育てるなら、時代と地域の色を持った性格になるだろう。
現代に草食系男子が多いなら、そういう色のある世代なのだろう。



ひ弱に見えたとして、誰の責任だと言うのだ。
本人ではないと言うこと以外は、確かなことなんてない。