忘れられないことと覚えていられなかったこと
どちらが残念だったのか



おにぎり
野菜炒め
唐揚げ



思い出は全部記憶しているが、記憶は全ては思い出せない
と何かの本に書いてあった。
なるほど、と思ったことを覚えている。

記憶したことを忘れてしまうのは良くあることだが、思い出を覚えていないとは聞いたことがない。
思い出は思い出せなくなると、薄くなる。それでも僅かに覚えている大切な部分を思い出しては、私達は思い出に浸るのだろう。



記憶をメモリに保存されていることと定義したとき、記憶されていないことはどのくらいあるだろう
何日も前の夕食を思い出すことは難しいが、どんなテレビを見ていたか、どんな話をしていたかなど、そのときの状況を思い出すと簡単に献立も思い出されることは多い。
つまり、これは記憶出来ていないわけではなく、思い出す能力、記憶にアクセスしてロードする能力が足りないだけ。
記憶自体は相当残っているように思う。

人間の神秘
人類の可能性

テスト前の丸暗記なんて、問題にならない


選択の機会が一度だけだから、誰もが最良の選択を選ぼうとする。



タマゴサンド
麻婆丼
ハンバーグ



一度だけでなかったら、ゲームのように無限にやり直せるなら、あらゆる選択を試してみたいと思わないだろうか。

こういうことを考えると、パラレルワールドという言葉に出会う。

もちろん現実には起こらない、ただの想像の話
しかし、私達はやり方が想像できないことを不可能と決めつけている。出来ないことと不可能とをまとめて考えている。

科学は魔法だ。
不可能そうに見えた、飛行の方法さえも今では確立されている。
時間の巻き戻しくらい、何世紀か後には可能になるのではないだろうか

真実は一つではない。
いつも一つなのは事実



お茶漬け
ラーメン
もんじゃ焼き



真実なんてものは、捉える側の信じるものによって姿を変える相対的なものなのだと思う。
事実は正しい歴史、確かに起こった事象。そこに人間の感情なんて曖昧なものは入り込まない。
言い換えると、真実は事実の解釈。
人が関係してくると、正しさが減少してしまう。



違うか



路線変更

人は情報を正確には保存できない。視覚だけ1秒だけでも、情報量は計り知れない。
記憶するためには圧縮が必要だ。例えば壁の模様まで覚える必要はないし、動きの一部始終、位置関係を時間推移と共に完全に覚える必要はない
必要そうな事だけを覚えるためのフォルダがあって、きっと一定時間で消去されるようにプログラムされているのかな